遠州見付の伝統的建造物 旧見付小学校

時宗の嶺松山省光寺さんの境内の西側は墓地域ですが、昨日ブログの見付端城の遺構ではないかとも思うほどの段丘があって、その斜面から南側にあたる場所に横浜の「港が見える丘公園」周辺を思わせるモダンな建造物が建っています(場所はここ)。

明治八年(1875)に建てられた「現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎」という建物で、当時入りきれない子供たちは省光寺さん他、近隣のお寺の本堂が分校となったそうです。

「酒井の太鼓」と伝わる浜松城の太鼓が何故かここにあるそうです。休館日で私はこちらの中に入りませんでしたので画像無し。

この太鼓は家康が三方原から這々の体で浜松城内に駆け込みヤケクソで城門を開放して松明を焚いた中で酒井忠次が叩きまくったというものと伝えられています。

武田の馬場信房、山県昌景ら蒼蒼たる追撃の強者もあまりに仰天して撤収したといわれています。

②の画像は周辺駐車場の赤レンガの壁。こういった古い遺構が各所に残る磐田です。