「奥の墓道」テリトリー 鎌倉釈迦堂の反則

市街地住宅地のバカバカしいほどの混雑と歩きにくさを除いて、鎌倉の墓場放浪はかなりの魅力。

そもそも何度か記したかと思いますが、鎌倉は平坦な中心部を囲む山や丘は墓だらけ。

 戦後のドサクサからバブル時期にバンバンそれらを開削して家を建てていったものです。不動産デベロッパーさんなどは「遺跡」「墓」などの発見を「正しく」教育委員会などに報告していたら工期も遅れて折角の儲け話がフイになってしまいます。よってそこのところ、何か出ても「現場で無視」が合言葉だったでしょう。

 その辺の「現場判断」は何も鎌倉に限ったことではありませんが、比較的土地の需要が高く、価格の高い場所ではいざ「発掘調査」などとなれば相当の時間的ロスが発生しますし、永久保存などにでも指定されれば自治体への土地取得費用での売却となって、そうなればこれまでの苦労が水の泡、アホらしくてやってられないということでしょうね。

 

 というワケで鎌倉あたりの開発の歴史は遺跡をぶち壊す歴史でもあったわけです。

自治体もその手の事は薄々承知していて、両天秤にかけたりしながら(勿論マネーの方)開発を押して行ったと思います。

 

 ハッキリ言って何処を掘っても何か出てくる場所ですね、鎌倉は。

「歴史を売りにしたいのだが、開発も進め過ぎた」というのが今回の歴史遺産落選の理由でしょう。

それこそその一挙両得は相矛盾している事案なのでした。

 

 今ではハイソ(High Society)な高級住宅地として人気の街ですが、小憎たらしく云わせていただければ、「墓場を小奇麗に整地して家を建てた」という感じがしますね。

 私の知っている限り、日本人というものはその手の「因縁」を重んじることが多く、墓地の上に住まうなどもっとも忌避すべきことであると了解していましたが、これは笑止、「知らぬが仏」を決め込んでいるのでしょうか。それとも「時効」でしょうか。

借家や中古住宅の売買でその部屋でかつてあった住居人の事案(自死や殺人事件被害現場)についての告知は「重要事項の説明」として不可欠ですが、「元墓場」はその説明は不要です。2~3回転売されたら「知りません」で済んでしまいますね。

 いつも鎌倉を語る時に思うことでした。

 

 さて、ヘビーな喫煙と深酒と辛いモノ好きで、痛風と高血圧と食道炎他多数の「爆弾」を抱え、今節消息不明になりつつあった友人の「奥の墓道」より、鎌倉散策の画像が届きましたので紹介いたします。元気で何よりでした。

 

 今月には私の縁者、最年長の従弟が亡くなっていますし、老若男女関わらず、いつ何時その「一大事」が訪れるのか判らないのが人間だからです。

従弟は千葉県内の某市教育委員会職員で遺跡「発掘調査」をしていた人でしたので殊に話が合いましたね。

 

 これも「甘い甘い」と指摘されましょうが、「しっかし・・・」、昨日辺りから遠州はめっちゃ冷えてきましたね。

皆さま、室内でも急激な温度変化は血管にキツイですよ。

お気を付けください。

 

 話は大幅に反れますが先日来、微妙に心に滞留させられる言葉が2件ほどありましたので記させていただきます。

 

 私などは年がら年中その「後生一大事」を語り一休さんの「あぶないあぶない」「正月なんか目出度くない」の如くの話を発していますが、ある年配の方に「住職は甘い」とのご指摘。

 その方の色々なご苦労は存じ上げていますが、その場での苦言。

私の「甘さ」は十分心当たりあって、反論のしようはありませんが、「甘い」という言葉はちょっぴりショック。

 

 「死を念頭にして生きる」ということが、あたかも「後ろ向きである」と捉えられてしまったのだと思いますが、私の話の持っていき方が稚拙だったということですね。

その方の色々なご苦労は存じ上げていますが、その場では「こんな苦労もしている」との所謂「苦労話」談でした。

 

 私はそこではまったく反論的な言葉を発しませんでしたが~何より私に発せられた言葉でしたから~本来、その手の苦労話をされた場合、「自分の重なる苦労話をして『自分は苦労人である』と宣言する」ことは丁重に遠回しですが「どちらかといえば口に出さずに心に秘めておくべきことです」と返しています。

 

 その手の「苦労話」は大抵がまたぞろその辺に転がっているお話であり、その方に限らずひょっとすると、もっともっと筆舌に尽し難いほどの苦難を味わっている方もまたぞろいらっしゃるからです。

「苦労」の尺度も各々違いますしね。要は「おもてなし―表無し」と同様「苦労話―苦労は無し」です。

 

今一つは、檀家さんでは無いですが80歳のご主人が亡くなったその翌日、その奥様が素晴らしい満面の笑顔でもって「私はこれからもうひと旗揚げる!」と仰ったことです。

「余りの悲しみから奮起する」意では無いでしょう。

これは少しばかりの経験則です。

  

 前向きでこれが今風の元気な御婆さんの姿であるのかと驚きながら一瞬羨ましさも感じましたが、よく考えれば一昔前の日本人には「喪に服する」という気持ちがあったはずなのに・・・と思った次第で、これも少しばかりショック。「めんどくさいしがらみが無くなってこれから自由を謳歌」するという宣言なのでしょうが、必ずしもコレ、表に出さず、心に留めて置いた方がイイですね。

お元気なことは良きことですが、なによりその台詞(ひとはた・・・)は大の大人が発すると野心的な感覚が振りまかれ、思わず苦虫を潰した顔になってしまいました。

 みなさんそれぞれの「余裕」があるが故の発言と感慨深く思った次第です。

 

 画像は文字通り「奥の墓道」。長らく「通行禁止」の釈迦堂切通しの細道を強行したとのこと(場所はこの辺り)。

当初は雰囲気だけでもということで向かったそうですが、当日は立入禁止のフェンスが壊されていて、そちらから「入っちゃった」そうです。可愛く書いても「ダメはダメ」というご指摘は受けましょうが探究心の強い彼でなくとも同様にこちらに来ていた人たちの流れでその著名な場所へ立ち入りたくなることは判りますね。

それにあくまでも「通行」したのではなく、見るだけ見て引き返して来たのですから。

自己の責任においての行動ですが、悪いお兄さんの真似はしませんように。

 

 やぐらの墓石、いい雰囲気です。トンネルも夕陽を受けて幽玄を醸し出しています。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (日曜日, 29 12月 2013 09:05)

    いいねー。雰囲気が出ている写真ですね。
    ただ立ち入り禁止がいいわけではありませんね。
    法律と同じで規制をすればするほど自分の首を絞めることになります。
    皆さんに見てもらい価値を知ってもらうのがいいのか
    見せるのを禁止して大事にしまっておくのがいいのか。
    私は前者ですね。
    本当は法律なんていらないのです。
    人の倫理観だけでいいわけなのだと思いますが
    人間の欲望は限りがありません。
    困ったものです。
    足るを知る。こうありたいものです。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 29 12月 2013)

    ありがとうございます。
    無限の欲望の始まりは、やはり他者に勝ちたい、優位になりたいという子供の時に経験した脳内の分泌ホルモンにありますね。薬物と一緒です。
    その欲望は殆ど人の本質に近いものがありますので、コントロールは難しいことです。
    それを追求し続ける事がいかに空しいことかがあきらかになって人はその欲望から離脱できるのですが、離脱できない人もたくさんいます。それらの人たちのために考案されたのが法律でしょうね。昔の法律は喧嘩仲裁のものばかりでした。