「まぁ・・・、いろいろある」 そろそろ締め

一つの達観でしょうか。私もこの言葉は好んで使いますね。

どうにもならない事象に対して、ごく身近な周囲の人、あるいは自分に言い聞かせる意も含んでそう吐きます。その流れには否がおうにも抗うことはできない自分の小ささのようなものと諦めも内在しています。

要は門徒的な発想なのでしょうね。

  考えてみれば歌謡曲にもある様に人間の歩む道には「いろいろ」あってその道にもデコボコや障害が「いろいろ」、決して一筋縄などでいくようなものではありません。

 

 先日も「事任(ことのまま)」が持て囃される理由として「そうでないからこそ」の人々の願望からその名が使われるようになった旨記しました。

願いがそのまま「願い通りに(事任―ことのまま)叶う」という「最上の夢」を人は見たがるのでしょう。

 

 遠州「一ノ宮」についても先だって紹介しましたが、「一番の神社である」ことを標榜するにそれを冠にしたいという意図があったのでしょう。

余談ですが二番手以下のそれが二ノ宮、三ノ宮などという地名となって残る場所がありますし、当地には「四ノ宮」という苗字も散見出来ます。神官系の家系が推測できますね。

 

 一国には国府(遠州では磐田市)に「惣社」が置かれ、それとは別に「一ノ宮」格の神社が設定されますが、遠州はダブルスタンダード、二つの説があります。

 一つは森町の小国神社ですが、今一つは掛川日坂、川坂屋のスグ近くにある事任八幡宮です(場所はここ)。

『大日本国一宮記』という書物にはこちらが歴とした「一ノ宮」として記されています。

 

 両「一ノ宮」とも「ことのまま」という最上級の願い事の成就を謳っているところは同じですね。

この事任八幡社、相良からも比較的近いので掛川「道の駅」に行く際に通ります。日坂という場所が好きで諏訪原城経由で目指しますが、そちらには昼食や、鮮度のいいものの買い出しに向かいます。

また、川坂屋との間の道を折れれば粟ケ岳(あわんだけ)方向となります。

やたらとデカい木が立っていますので創建は相当古そうです。

八幡信仰もあって武家に好まれた神社ということも推測できます。

 

 憎まれ口を少々。

私、口には出さずとも煩悩の為すがまま「そうあって欲しい」と切に願ったこと多々ありますが未だかつて、そのようになった(願いが叶った)などと思う事、一度もありません。もっともその手の御利益を掲げた場にて「真面目」にお参りしたことなどはかつてありませんが・・・。

 狭量で矮小な個人的煩悩の如くのそれとそもそも「神と仏」の違いといったらそれまでですが、あくまでも本願は阿弥陀さまのお仕事で、当方から逆に「願う」(それも我が身のためだけに)などということは反則で、それもかなりの越権行為なのでした。

 何かが「うまくいった」としても「たまたま」で(人は運と呼びます)、何か獲得(ゲット)したことも偶然のこと、いつまでも同じような「イイ目」が出続けるワケは無いのです。

切株にたまたま当たって気絶した兎を得て、切株の前で次の兎の出現を待つようなものですね。

また、いい思いをした分次の意気消沈のダメージは大きいものですからね。 

 

 我が身が「命」のバトンを繋ぐ役目として名乗りをあげさせていただいて、おかげさまで食べさせていただいて、何とか生きながらえて、ボヤキの一つも吐かせてもらう、「今がある」ことの他、何をや望まんとするものでしょうか。

ひとたび何かを望もうとすればキリがなくなりましょう。

 

 特に「生老病死」(無常―命のはかなさ)についての儚い願望ほど空しいことはありませんしね。

齢を重ねてつくずくと「あるがまま」の有り難さを思う次第です。

ただ一所懸命に「始末」を心掛けて生かさせていただきます。

 

 異教の神の誕生祭に国民こぞって夢中になるのも一つのお楽しみ、夢を見るのは自由ですが、本当の事も大切です。

悩み多き時代だからこその僅かな息抜きも必要ですし結構な事です。

ただし、どこの世界にも常にそのようにウワッついた心にはなりきれない人もいることを忘れてはいけません。

まだまだ3.11以来苦しみを拭え切れていない人々がいることもしかりです。

 

 標記「まぁ・・・、いろいろある」は映画の中の台詞のパクリです。

「アンタッチャブル」でアルカポネ役のロバート・デニーロが配下のギャングのボスたちの前で「演説」する前の出だしの一言です。

その演説の最中に裏切り者の頭をバットでぶん殴るシーンだったと記憶しています。