摂取の光益 不捨の誓益

聖人「浄土和讃」

 

「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」

 

は本流同朋奉讃の「弥陀成仏~」に次いで謳われることの多い御和讃です。

これが阿弥陀如来のお力―「他力」―で、言ってみれば世間の皆さんが大好きな言葉「ご利益」です。それを少しばかり表現を変えて「摂取の光益 不捨の誓益」と蓮如さんが御文で記したものがコレです。

この御文は通称「大聖世尊」(三帖―四)と呼ばれています。

 テーマは「無常」ですね。私が通夜のお勤めの最後に好んで拝読する御文の一つですが、こちらは少し長目ですので年配の方が多い席ですとどうしてもザワザワする場合がありますね。

かなり早読みになりがちになってしまいます。

 一度だけ忘れられない強烈な想い出がありますが、この御文をフツーに拝読して通夜参列者のおばさんに野次られたことがあります。凄い形相で「長すぎる、外で待っててたまらないよ」と。

 たまたま自宅会場だったため焼香に入れずに外で待っていた方だと思いますがまったくもってそんな文句を当方にぶつけるなんてちょっとスジが違うというものではないかと思った次第です。

ご近所の付合いで通夜に嫌々出ているということに相違ないところでしょうね。

そんなにイヤならハナから出なければいいというものです。

通夜席は大体全部で35分~40分くらいでしょうか。

他宗派ではもっと短いとも聞きますが、近隣門徒のお寺では「60分以上当たり前」と仰っています。

他宗の通夜に出席したことは遥か昔のことでよく判りませしスタンダードなどありませんので何が正解かは判りませんが私のスタイルは変える気はサラサラありませんね。

まぁご門徒さんからそのような何らかの「御指導」があった場合は大いに検討させていただこうという気持ちはありますが。

 

 よってそれより短めの「疫癘(えきれい)」(四帖―九)を拝読することも多くなりましたね。ちなみにそちらのテーマは「病気」です。

 

 「大聖世尊」の御文の本題は前述した通り「他力」なのですが、それをもっと深く突き詰めれば「信心」であるということを語っていることがわかります。

その御文の私が一番好きな場面がその後半部分ですね。

 

「このほかには別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修してもなににかはせん。あら、たふとや、あら、ありがたの阿弥陀如来や。かやうの雨山の御恩をばいかがして報じたてまつるべきぞや。ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声にとなへて、その恩徳をふかく報尽申すばかりなりとこころうべきものなり。」

 

「一向専念無量寿仏」そして「だから感謝し御礼する言葉の名号を唱えるのだ」というところです。

 

今年もみかん畑に上がらせていただきました。萩間御門徒さんのM氏のご厚意です。

大事な恵み、山にうち捨てることなくお参りの皆さまがビタミンC を摂取していただき健康の材としていただけれぱと思います。境内に置いてありますのでどうぞ。

放置していたにも関わらず(数本の木が蔓の巻きつきで絞め殺されてしまいましたが・・・)ことのほか豊作で去年より好評のようです。

来夏は下草刈くらいには行ってあげなくてはと思っています。