「講」とは何か 御文四帖-十二

昨日は朝から小雨。それでも起床時は案外温かく、その日の僧俗研修会の会場、掛川蓮福寺さんの本堂は当山とは段違い、空調が効きますので、「ガッツリ着込んでから」参加、という感じではありませんでした。

ところが時間が経つにつれて気温が徐々に低くなり60人以上集まって温かいはずの会場でしたが結構冷えましたね。

天井も高いし広いのでほんわか温めるには無理がありました。

 

 相良に帰ってからは雨が霙になっていました

ニュースでは芦ノ湖が5㎝の積雪と。東京の早朝の足元はかなり怪しいですね。知事辞任のテロップが流れていましたし。

 つくづく思いました。かなり前に当山を会場に同様の講習会が催されたことがあるそうですが(同行した総代が仰っていました)、現代の人たちにあの寒い本堂を耐え忍ぶガッツは無いというのが結論。

耐える必要も無いですし、そんな状況をセッティングすることも酷ですね。

何しろ当山本堂は障子1枚で、すきま風ヒュー・・・ですから。暖房など何をしてもダメですね。

 

 さて、その日のお題は「講」。

「講は真宗門徒の基本」と教わりつづけ、耳にはしっかり残って、意は漠然とは理解しているつもり、ではあるものの、今一つハッキリしない言葉でもあります。

 各寺院において色々な形で呼ばれるそのシステムですが、当地でも「念仏講」とか言う真宗門徒とは関係の無い「寄合」もあるようです。私は未だにその「念仏講」の意味が判っていませんが・・・。

 

 とにもかくにも真宗の「お講」(丁寧に「お」を付けます)とは大体が「報恩講」を差しますので、それをご縁にした寄合を時間的に早めたりずらしたりしたものを「お引上」(おひきあげ)とか「お取越し」(おとりこし)と呼んでいます。

宗祖の命日の11/28を中心に考えますが、明治になってから西暦の概念が入ってその命日の考え方に幅を持たせ、また、本山も許容していますのでその時間的なズレについては相当「適当」でいいのかと思います。

 ちなみに当山において今年は通常11/28前に執り行われている「お取越し」を、私の都合により、つい最近まで延期していただいたお宅もありました。

 

 親鸞聖人の亡くなった日にちは通常は弘長二年(1262)11月28日と云われています。本山は旧暦の日付をそのまま新暦の日付にしたものを採用してこの11月28日を「門徒の中心の日」としているのですが、お西などでは新暦に換算していますので命日は弘長三年(1263)1月16日です。

そんな感じですので私たちもいつも同様に「そんな感じ」にてお講をすごさせていただいています。

 

 上記は宗祖命日に合わせたお講としての「講」のお話でしたがそれとは別の、「月二」で集まった「寄合」についてです。

その場を会所(えしょ)とも呼んだそうで、講のことをそう呼ぶようになったと思われます。

問題は当流の「月に二度のお講」のうちの一つは「28日」に相違ないのですが、もう一つはいったい何時だったのかということです。

 遠州の真宗寺院でも「十日講」という言葉が残っていますので「それ」ではないか?という説があります。

となるとその「十日」とはどういう理由か・・・ということになって会場では講師ほか皆さん色々な説、前住職の没日が十日だった、教如上人が三成に追われた日が十日だった(三成から逃れていた期間?)、等があげられていましたが、私は28日は決まっているので、ひと月の半分ずつにすればだいたい十日が丁度いいしキリがいいからだと単純に考えた次第です。まぁどうでもいいことですが・・・。

 

さて「二度のお講」の根拠は蓮如さんの御文、四帖-十二です。

 

タイトルは「毎月両度」ですね。

少し長いですが感じてくだされば。

 

そもそも、毎月両度の寄合の由来はなにのためぞといふに、さらに他のことにあらず。

自身の往生極楽の信心獲得のためなるがゆゑなり。

 

しかれば往古より今にいたるまでも、毎月の寄合といふことはいづくにもこれありといへども、さらに信心の沙汰とては、かつてもつてこれなし。

 

ことに近年は、いづくにも寄合のときは、ただ酒・飯・茶なんどばかりにて みなみな退散せり これは仏法の本意にはしかるべからざる次第なり。

 

いかにも不信の面面は、一段の不審をもたてて、信心の有無を沙汰すべきところに、なにの所詮もなく退散せしむる条、しかるべからずおぼえはんべり。

よくよく思案をめぐらすべきことなり。

 

所詮自今以後においては、不信の面面はあひたがひに 信心の讃嘆あるべきこと肝要なり。

それ当流の安心のおもむきといふは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、ただもろもろの雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきこと、さらに疑あるべからず。

 

かくのごとくよくこころえたる人は、まことに百即百生なるべきなり。

 

このうへには、毎月の寄合をいたしても、報恩謝徳のためとこころえなば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者ともなづくべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 

[明応七年二月二十五日 これを書く 毎月両度衆中へ  

                       八十四歳]

 

蓮如さんは山科本願寺にて85歳で亡くなっていますがその約1年前の御文です。

これから判る事は・・・

月に2度あるお講は「寄合」であって報恩謝徳のためではあるものの、つまるところ「自身の往生極楽の信心獲得のため」であるということです。

 

 蓮如さんは「酒飯茶(しゅはんちゃ)で退散」の姿に苦言を呈していますが、仏縁を意識して仏法を聴聞する「あなたの意識」の欠落を嘆いているワケでして、極論申させていただけば、たとえば「今日・明日の忘年会」を楽しみにしている方々、仏縁を意識して仏法を聴聞する姿勢と報恩謝徳のための寄合であれば十分「お講」であると言っていいかもしれません。

すべてが自身のためであり、他者や坊さんや寺や本山のためではありません。それが「お講」であると。

 

 

画像は掛川蓮福寺さんと講義風景。