油井発見と茶園開墾の牧之原は当時の夢

油井開発で活気に溢れた相良には諸々の有名人が顔を出しています。悪い言葉で言えば当時の相良はカネの臭いがプンプンしていたことでしょう。

 幕末に徳川慶喜の護衛として結成された「新番組」の中條景昭に呼応して龍馬を斬った今井信郎をはじめ多くの浪士たちが駿府を経て牧之原台地の開墾入植してこれが今の大茶園に繫がりました(相良の幕末勇志)。

ちなみに中條景昭も昨日記した徳川家茂上洛の警護として結成された「浪士組」の取締役として名を連ねて江戸に残って浪士の人員掌握に努めた人です。

一方相良石油に集まったのは元官軍系か江戸無血開城、江戸市中を戦火から守った、後に「三舟―さんしゅう」と呼ばれた勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟などです。

 石坂が唾をつけた相良油田は薩摩管理となり、やってきたのは海江田信義(有村俊斎)です。

薩摩の有村兄弟の凶暴振りときたら半端では無く、文久二年(1862)兄の海江田信義は横浜生麦で馬から引きずりおろされて傷を負ったリチャードソンにとどめを刺し(生麦事件)、後に反りの合わない長州の大村益次郎の暗殺にも1枚噛んでいたといわれています。

 ちなみにその弟たち二人、有村雄助・有村次左衛門は安政七年(1860)の大老井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)に関わって二人とも死んでいますが、有村次左衛門の方は井伊直弼の髷を掴んで籠から引きづり出して首を切落とした張本人ですね。

歴史上著名で小学校の教科書にも記されるような幕末の2件の無残な事件に名を連ねています。

 

 やはり偶然なのか何なのか三舟と呼ばれる三人がここ相良に関わっていたということは特筆ものですね。

石坂が元「浪士組」で山岡鉄舟と一緒だったということもありますが、石坂の奥さんが高橋泥舟の妹でその姉さんが山岡鉄舟の奥さんでした。山岡が養子に入れた宗之助は石坂の長男です。