「一向専念無量寿佛」一向宗と呼ばれる由

揮毫いただいた看板の脇に記した八文字について再び。

一向専念無量寿佛」の「一向」について。

この「一向」が独り歩きしてだんだんと真宗門徒を「一向宗」と呼ぶようになったのでしょうが、真宗側として「一向宗」やらその反権力的自己主張のことを「一向一揆」と自らそう呼んでいたとは思えません。

しかし周囲から云われて「まんざらでもない」ということから黙認しつつその言葉が一時期、真宗門徒をストレートに表すようになったのだと思います。

御文一帖-15には「一向宗と申したるも子細なし」と蓮如さんは仰っています。

 ただし当時のその概念はそれまでの浄土系、時宗の輩との混同もあったと思います。

 

 現在では、本山でも真宗の坊さんの中でもその「一向宗」という名称は嫌っている方が多いと思います。

毎度ブログでも記させていただいているように、蓮如さんが一部扇動者が率いた一揆が無茶に国中を暴れまわっていたことを嫌っていたこともあって、苦虫を潰している様子など(お叱りの)御文に記されていましたね。

 

さて、「一向」とは「一つの道を皆で歩む」という意でいいかと思いますが、「向」という字をひもといてみると、元は「卿」という字が上に乗った「嚮」であって「向」は略字であるかと。

「響」という字も類語で、だいたい「向かいあう」という意味でしょう。また象形文字的に「向」という字は家の「窓」を意味しているそうです。

窓から入るものは「明かり」です。それもまさに受け身であって、やはり「他力」を想い起こさせますね。手元が明るくなければ仕事になりませんので・・・。

 阿弥陀仏の光背に放射する48の光を「窓」から受け取ることと考えればますます「一向」という語彙が頷けます。

 「専念」は「専ら」に「念ずる」。「念」は「口に含んでもごもごする」が意ですが「ただただ心に抱くのは『今、このとき』でしょ!」ということでしょうか。

「今」は「フタで囲んで捕まえている様子=ライブ感=現在進行形」です。

 余談です。姓で云えば「今こんこんと湧き出ている井」が「今井」、枯れてしまった井戸またはその井の近くにあった家を「古井」でしょうか。

 

画像は相良菅山の石油井戸を囲う小屋(手掘り井戸小屋)。

明かり窓の口の形から「向」が連想できますね。