獲得(ぎゃくとく)」すべき宝もの・・・

昨日の続き。

真宗世界でも「ゲット」するという概念はありますね。

それは蓮如さんの御文の中に散りばめられています。

「獲得」という文字です。発声は「ぎゃくとく」と読みますが、国語の漢字の読み試験で「ぎゃくとく」と記せば×点をもらいそうな気がします。しかし私の見る限りどちらにも「かくとく」とは記されていませんね。

 また「ゲット」のようなえげつなさそうなニュアンスではなくて「手に入れる」ということでは変わりませんが当流では「いただく」という訳で通っているところです。

 

 「何を格好つけている!」とお怒りの言葉を頂戴しそうですがそもそも蓮如さんが何度も記すget!すべきものとは「カネ」「地位」「モノ」といった類(物質的なもの)ではなく、如来さんからの「おもてなし」(=おもてになさない 表面的でない=表無)というか「回向」と云ったらいいのか「南無阿弥陀仏」「信心」という、いわば精神的なものなのですね。

よってかしこまって「いただく」となるのです。

 

それでは御文さまの中から「獲得」(ぎゃくとく)が使用されている部分を羅列してみましょう。

 

1 この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、無間地獄に

  堕在すべきものなり(二帖-2)

2 これによりて真実信心を獲得したる人は、かならず口にも

 出し、また色にもそのすがたはみゆるなり(二帖-5)

3 仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、仏心と凡心と

 ひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり

 (二帖-9) 

4 一念帰命の他力信心を獲得する平生業成の念仏行者と

 いへるはこのことなりとしるべし(三帖-8)

5 本願他力の真実信心を獲得せざらん未安心の輩は(三帖-9)

6 本願真実の信心を獲得せしむる人なくは、まことに宿善の

 もよほしにあづからぬ身とおもふべし(三帖-9) 

7 されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいて

 こそ(三帖-11)

8 されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善に

 あらずといふことなし(四帖-1)

9 一念帰命の他力安心を仏智より獲得せしめん身の上において

  は(四帖-2)

10 七昼夜の時節にあひあたり、不法不信の根機においては、

  往生浄土の信心獲得せしむべきものなり(四帖-8)

11 一人ものこらず信心未定の輩は、心中をはばからず改悔懺悔

  の心をおこして、真実信心を獲得すべきものなり(四帖-8)

12 されば他力の信心獲得すといふも、ただこの六字のこころ

  なりと落居すべきものなり(四帖-8) 

13 今月報恩講のうちに早速に真実信心を獲得なくは、年年を

  経といふとも同篇たるべきやうにみえたり (四帖-8)

14 毎月両度の寄合の由来はなにのためぞといふに、さらに

  他のことにあらず  自身の往生極楽の信心獲得のためなるが

  ゆゑなり(四帖-12)

15 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり この願を

 こころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうる

 なり(五帖-5)

16  聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を

  獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもある

  べし(五帖-11)

 

画像は庫裏内に避難させている黄色のハイビスカス。

「赤」は何とか5℃前後まで気温が下がっても冬を越すことはできますが黄色は未だかつて越冬させた経験がありません。

今年は庫裏内でも比較的陽当たりのいい場所で冬を越させることにしました。

綺麗な黄色で気持ち和ます彼女は今夏挿し木した株。

冬の柔らかな日差しを思いっきり「獲得」しています。

春が待ち遠しい。