「ゲットォ~!!」で歓喜する世風

子供たちの他愛もない言葉、「ゲットォー」という勝ち誇った、また上ずった調子で吐かれるその言葉を耳にするようになって久しいものがあります。

子供たちがゲーム等で何かのアイテムを獲得するか、拾ったり(盗ったり?)、要は「我がモノにした」という歓びを「ガッツポーズ」などしながら外に発したものですね。

 私のその言葉から感じられるイメージは2つほどありますが、大概はいいものでは無いですね。

 

 まずゲットー=ghettoという発音を聞いて思うのは「監禁抑圧される」という意です。

まずナチス・ドイツによって復活(元は中世欧州にあったユダヤ人強制居住地域)された強制収容所を思い出しますが、転じて米国あたりでは「一部の人たちを押しこめた街、貧民街」を意味するようになっています。

 レゲーやラップの歌詞にも時々その言葉は出てきますが特に私は「Bobby Womack」の「110番交差点(Across 110th Street→YouTube)の歌詞に出てくるそれが頭に残っています。

 人それぞれでその歌詞を聞いて不愉快な思い(110番交差点 和訳サイト)をされましょうが、生悪説的にガツガツといつも人を騙したり貶めようとする者が廻りにうじゃうじゃ蠢いている中から善にしろ悪にしろ何とかそこから這い出して「強くいきる」風の歌詞は私は嫌いではありません。

決して自分がそういう状況下にあるとは思いませんが、曲調も好みのもの。

 

 「ghetto」という語彙には何かへの(反発的な感じ)メッセージがありますのでその言葉の出現は今の日本の歌謡曲(それは一種の気まぐれな気持の「吐露」?)とはまったく違うものがあるよう感じます。嫌な言葉ではあるものの少しばかりカッコいいのです。

まぁそれも私の勝手なイメージですが・・・。

 

 さて日本の子供たちが口にするそれに似た言葉「get!!~」は「獲得すること」あるいはその結果「歓喜している様子」でしたね。

子供たちのその風潮が世の大人たちに伝染したのか、そもそもの「性悪な」人間の本能の「芽生え」が子供たちに発せさせるのかは判りませんが、要は獲る、取る、採る→盗るの変化(へんげ)は私たちの「暗黙」の世界に入っている様な気がします。

 これは他者の物を奪い盗って「我がもの」にするということこそが処世術であり、それが出来ない者は「負け組」であるといった風潮だと思います(ただし戦国時代あたりまで、戦いで相手の「首をとる」ことが出世に繋がって行ったという社会もありました)。

 

 当家ではナンバーディスプレーを導入しややこしそうなセールスの電話と「0120」からの電話には応答しない約束ごとがあります。ナンバーディスプレーとは受話器を取る前に電話を掛けてきた相手の電話番号がわかるシステムです。

そしてまた、電話番号帳の記載からも街区地図の更新も現在お断りしています。

 当サイトにはすべてあっけらかんであるのにもかかわらず「電話は絶対いけない」と思っています。

勧誘と詐欺はその「電話帳」からの電話が主であることが判ったからです。オレオレ詐欺等の不特定多数相手のフィッシング系は「まず電話」からです。

何しろその手の人たちのお話に関わっている時間が勿体無く感じたのです。

今でもそのガードをすり抜けて無意味な電話を取ってしまい後悔すること多々ありますが・・・。

 

 お恥ずかしきことながら記させていただきますと、私が「懲らしめ」られて地団太を踏まされたのは、この寺に入って程ない頃でした。

 

 ある晩に夕食も済ませてほっこりしていると電話が掛かってきて

「そちらのお寺の檀家の縁者で長野から出てきたが電車賃も無くなって、これから藤枝の施設に子供を迎えに行かなくてはならない。何とか助けてほしい。1万円ほど貸してもらえないか。」というものでした。

 私には寺に入って殆ど檀家さんの事を知りませんでしたのでどこのどなたかもわかりません。

「ただ困り果てて途方に暮れている」相手の姿を想像しましたので彼が指定する島田の六合駅前の公衆電話まで約1時間かけて向かいました。

「着到」して聞けばスグに給料が入るので3万円を貸して欲しいと当初の金額が3倍に。

私も戴いたばかりの小遣いの3万円があるばかりでしたので、その旨を説明して、「2万円で勘弁して」と住所と電話番号を聞いて別れました。

勿論「借用書」などありません。

 

 彼は月末過ぎたらお寺まで「お返しにうかがう」と言っていましたが既に7年の歳月が過ぎてしまいました。

電話番号も住所も出鱈目だったことがわかったのは3か月程度過ぎた頃でした。それはこちらから念のために電話したことによって判明しましたね。あまりにもその手の電話が掛かるので翌年からNTTの電話帳記載から外してもらったという次第です。

 

 その手の輩を昔から「枉惑-おうわく」(「人たばかりて物取らん」―今昔物語)の人の姿を呼びました。

一説にこの枉惑から転訛してこの地方でも使われている「わや」になったとも云われています。

「わやにする」「わやだなぁ」と使いますが「無茶苦茶」ということをいいますね。

 

説話集に出てくる「枉惑の輩」の1度惑わされる者が再び惑わすことができるのだという手口は、今も同じです。

何度も騙しやすいということですが、手紙や電話で勧誘してうまいこと返信してきたら(ここで1回目の枉惑)「こっちのもの」だといいますし、のこのこと呼び出された現場に出てきたというだけで「コレもいける」と提示金額を一段変えて平然と騙すという「積極策」に出られるのです。

 爆笑もののお恥ずかしいお笑い草ですが、詐欺にあう私の方から請求金額の減額を懇願するところがその「枉惑の輩」のテクニックと騙される方の心理の面白さです。

 今となっては「勉強代」と自身を納得させる以外方法はありませんが、とにかく世の中「枉惑の輩」魑魅魍魎が跋扈していることは違いないところです。

 

 そろそろ池新田の叔母の後見人としての登録をしなくてはならないと思わせる事案もそうですが、昨日私の不在時に次男が出て私では無く父親ご指名で掛かってきた電話―その後掛かってきた電話には私が出て「話を聞く」と言っても執拗に父親の帰り時間を聞いてきました―とも明らかに年寄りの判断能力欠如を狙った詐欺的セールスです。

 叔母の話は某司法書士からのもので「大家の土地の質権解消」のためとか何とかで「土地の連帯保証人となることが必要になったので実印が欲しい」という話。

父の方は造園屋兼不動産屋?からの土地購入話です。

数十年前にその造園屋の手配による土地(現在の新墓地)の瑕疵(解体木材を地中に埋設したため沈下する)の件、墓地の沈下が起こって当方「枉惑」させられた過去がありましたが、ほとぼりが冷めたと思ったのか再び接触を試みてきました。

 件の話は当山北側のアパートの取り壊しが決まって、他の不動産屋さんからも「解体してくれれば安くする」と200数十坪の土地購入をすすめられていましたが、父親目当ての業者は「イケル!」と思ったことでしょう。

「この間もカモにしたので今度も俺にまかせろ」の意気を感じました。

 御存知のように当地の標高10m以下の土地などは余程必要性に駆られた人かモノを知らぬ酔狂者しか手を出しませんので、おそらく後者の方をイメージしたのでしょうね。

父親は頑固で人の意見は聞こうとしませんが何故か各種セールスマンの言いなりにはよくなって度重なり騙され続けいました。そういうリストが引き継がれていたのか時として「うまいこと」やられていました。こういう話はある程度時間を経ないと発覚しませんのでまるで「忘れた頃にやってくる」化け物の類ですね。

 「騙すより騙されろ」はいわば「真宗坊主道」ですので借金を残さなかっただけでも良しとしなくてはなりません。

 

 一例ですが境内に転がる「デカい石」たちは上記とは違う県外の石屋が来て毎度毎度置いて行ったものです。

代替わりしてからも直接来訪と電話が10回以上はありました。

「置く場所が無い」のでと断れば石の置き場を勝手に決めて置こうとします。拒絶すれば「木を切らせて」というのでそれなら「自分でやる」と言えば「お父さんはいいお坊さんだったがあなたは何もさせてくれない・・・」と窘められる始末。

それでもしつこく電話は来ます。無理矢理2tユニックで境内に入るので(石が積まれているのでブームが下がりきれない)門の天井に傷がついていますが彼らの「がむしゃら」さによるものだと思います。

 

 さて、私の次の宅建主任者証の更新は来春に迫っていますが、もはやその更新はしないことをいつか記しました。

昨日聞いた東京の不動産屋からのこぼれ話を少々。

 

 「某司法書士の自慢話が倫理観無し常軌を逸している件」

 

ある人に某司法書士が自身の業務についての成功譚を自慢げに「あなたもそうすべきである」という風に鼻の孔を広げながら語った話だそうですが、要は

ある医者が亡くなってその年配の未亡人に「うまいこと」取入って「白紙委任状―carte blanche―をゲット!!」したというお話です。

その「うまいこと」取入ったステップを彼が工夫しながら、彼なりの「苦労話」を展開していってそのお婆さんの実印・印鑑証明付きの白紙(しらがみ)を入手してニンマリしている様子が想像できます。この自慢話、コレって相当タチの悪い詐欺罪ですね。

 オレオレの方は短絡的、衝動的なもので何とか予防は出来ると思いますが、縁者が遠方あるいは不在で痴呆が進みつつあり、判断能力の無くなった老人からその土地財産をふんだくって自分の物にしてしまうという暴力的搾取です。

 

 そのような事案はまたぞろあるそうで、儲かるならば何でもする、道義的責任など皆無というその道の「知恵者」はかなり増加傾向と。だんだんとその手の人間が幅を利かせる世の中になっているのですよ、日本は。

立法府は「オレオレ詐欺防止法」―詐欺罪特例法案―のような形で「判断能力の無い」(痴呆・老人を含め)人から金品を搾取しようとした者(未遂)または搾取した者への刑事罰を重くするなど法整備すべきであると思います。国民を守りきれない躰をさらしていますね。歳を重ねることが辛い世の中と化しています。

 

 オリンピック招致のプレゼンであのバタ臭い顔をした女性が論じていた架空の話に疑問を持った方は私以外にもいらしたかと。好感度抜群のようでしたが話した内容は嘘っぱちだらけでした。「現金を落としても必ず戻ってくる」なんて酷い大ウソですね。出演者それぞれが無茶な(「わや」な)ハッタリをかましていましたから彼女だけが悪いわけではありませんが・・・。

しかし彼女の「仕事」の上手さが相当あのイベント招致の合否を左右したのではないでしょうか。

 

 このほど公表された遺失物と拾得物の差が物語っています(画像)。

そして東京が特別に安全であることを考えたこともありませんし、むしろ現実には悲惨な事件が途絶えないという感じがしてなりません。

 

 何よりあの「お・も・て・な・し」には参りました。うまいこと「やられちゃった」人もいらしたかと思いますが、そもそも日本の文化にそれを公言して事前にセールストークに使うという形は無いと思います。

それこそ、それは「暗黙」の手配・手心であってお客からすれば自然=仏のなすがまま=「他力の如く非人智」でなくてはならないと思うのですが。

 よってあの方は詳しく日本の文化について了解されていないようにも感じてしまいます。あのプレゼンもある意味、というか十二分に人を「枉惑」していますね。

捻くれ坊主にはあの言葉こそ「詭弁」の中でも特に着飾った「詭弁」の様に感じます。その手の「心中」を「口に出して胸を張る」ものでは無いのが日本の文化ではなかったのでは・・・。