時宗の古刹 磐田見付 省光寺

嶺松山省光寺さん。こちらの時宗のお寺の名にも「光」が入っています。省みる(かえりみる)・振り返る・反省するための「気付き」の「光」という名でしょうか。阿弥陀如来の効果がお寺の名になっています。

牧之原から西に行って、天竜川を渡河する手前にあります(場所はここ)。見付には宣光寺という曹洞宗のお寺もありますので、私の「こじつけ」た「光の字は阿弥陀如来」は結構いい加減なものかも知れません。

 「見付」とは東海道「見附宿」のことで、東海道を西から天竜を超えてここいらで初めて「富士山みっけ!」という富士山が見られる一番西であるという地名発祥説を聞いたことがあります。磐田市の中心地ということです。これより東側に「富士見」という街区があります。

 

 省光寺は東名高速磐田インターからの道路沿いにありますので何気なく中心部へ向かって走っていても否が応にもそちらの立派な門構えが目に飛び込んできます。

 こちらの門は釣鐘堂と山門を兼ねたものですね。この山門のスグ裏には大きな銀杏の老木があってこの寺の古さを物語っています。

お寺は元は真言→時宗の流れだそうですが、お寺の六代目の住職、慈海和尚という方は足利幕府将軍、二代義詮の弟であったとのことで幕府から大きな庇護を受けた寺だったそうです。

幕府初代尊氏が三男を出家させ、寺を建てさせたということでしょうか。疑問としては京都から離れたこの地に何故?という感じではありますが・・・。

というわけでこちらのお寺には時宗の宗紋の「隅切角に三」が前面に押し出されるワケでは無く、家紋である足利「二つ引両」の鬼瓦が光っています。〇と隅切り角と外枠は違いますが「三と二」は下から見たら判別不能。よって地上に降ろされた改修以前の「鬼」の画像を。

また、このお寺が「御所道場」という称号を与えられていたということから当時の繁栄を想像することができます。

やはり牧之原市道場の地名は清浄寺さんの古くからの別名が称されたと確信を得た次第です。

 

 墓地は西側の段丘上に整備されていましたが二点ほど古いお墓に目が留まりました。

宝篋印塔っぽい五輪塔は元庄屋さんの家系で今も続いている家の様です。

同様、すらっと美しい姿の宝塔も勿論新しい仏華が添えられて、現役の縁者が詣でている墓石ですね。

この磐田という町も古くて歴史的遺構の豊富な町です。