大政は山のようにデカかった 専念寺

当家のお話。

 将軍家斉の御台所御奉公の他、伊達、島津両江戸藩邸に出仕した波さん(釋妙好)の弟で当山11代目の祐曜(ゆうよう)の奥さんは釋妙曜、俗名曽我滝江という人で文政12年生まれ。

祐曜の没した12年後、75歳で亡くなっています。

私が15代目ですので、曽曽祖母にあたります。

滝江さんの実家は清水専念寺(場所はここ)。

 

二足草鞋(→ブログ)、清水次郎長(山本長五郎)の子分となり,山本政五郎と名のった「大政」は明治大正昭和の一世を風靡した次郎長一家題材の書き物、浪曲、演劇、映画等に必ずや登場活躍している人ですが、当家にはその大政について滝江さんやその子12代目祐闡らの目撃談が残っています。

滝江さんより3つ下の大政ですが、滝江さんは実家に子連れでの里帰りがあったのでしょうか、その子供たちの見た大政は、それはそれは大男で「山の様」だったそうです。

たしか銭湯の様な場所で見た話のようでしたが、これは私が祖父から聞いたものでした。

 

次郎長の奥さんは3人で病没した最初の奥さんの名を名のらせたそうですが2人目の奥さん「おてふ」さんが新番組の衆に斬り殺されたのもこの近くだとのこと。

 

このお寺も元は大坂にあった寺で石山十一年戦争、そして教如さんとかかわりが深い寺です。

大澤寺が法名として名のる「祐」の字がこのお寺の早い代の住職に使用されています。

近江武佐広済寺の代々もその字が使用され、また広済寺から金沢に分立した広済寺住職にも「祐」が使用されています。ただの偶然では無いでしょうね。

ちなみに金沢市の近江町市場の大元はその広済寺の住職に同伴した近江商人らだったそうです。

 

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