それとこれとは別? お伊勢さん

江戸時代の無礼講の際たるものはお伊勢参りでしょうか。

奉公先からふっと消えて、1か月以上居なくなったと思えば、ふっと帰ってきて、どっ叱られても「お伊勢参り」別名「抜け参り」の為であったことを告げれば御咎め無し。60年に1度の「おかげ参り」という言葉も寛大さを表しています。

当時の農民たちの逃散などを恐れてこと地方間移動、故郷を離れることに関してはピリピリになって規制されていましたがお伊勢参りに関してはお上の方も許容するという風潮がありました。

 

 伊勢講の講とは「おあし」が工面できない人々が揃って銭を積み立てて順繰りに伊勢参りをしていこうとするシステムです。

わが真宗の「講」とはまったくその形も目的も異にしますね。

 

 また、このお伊勢参りのシステムは、私が生活していた沖縄の金銭融通システム「もやい」に似ていると思います。

人によってはAB違うグループの「もやい」に参加している人もいましたね。

 私設の「無金利で特定の者のみ限定された金融システム」ですので「出資法」には抵触しません。

参加メンバー全員の了解確認後、1名1月当たりの出資額と受け取りの順番を決定して終わり。

大抵は署名捺印等、書面交付など約束ごとは一切ありません。信用だけです。

 

 たとえば3万円/月と10名の参加者があるとすれば、適当に、予め決めたおいた順番に30万円を取ることになります。「今月車検がある」「結婚する」等のイベントがある人は順位を早めてもらったりすることも可能でした。

 

 自分も他人を支えて、また支えられるというシステムで、お金に困っている「貧度」の高い順に受け取ることになりますが、たくさんの人間が集まればより1回に得る金額は大きいのです。

よってそれだけ信用のできる人を集めなくてはなりませんでした。

早い順位で受け取ってその後居なくなるなどという話も聞いたことがありましたが、そういう輩は掟を知らない内地の人間だったのでしょう。

 

 月3万円ずつ貯金して10か月後に引き出せば同じといえばまったくその通りですが、人間独りだとなかなかそういう節操のある習慣をしにくいということと、人を助けるという気持ちがより強いということから起こった講のようなものでしょう。そのシステムはまだ沖縄に生きていますね。

 

 そういう講の形はまさに伊勢講。村の20軒が金銭を出し合って「伊勢参り」という一生に一度の「観光旅行」と「圧政からの息抜き」を順番で味わう、苦しいことばかりの生活観から見つけた庶民の唯一無二の楽しみだったかも知れません。江戸時代には国民的一大ブームになっています。

 

しかし真宗浸透地域にその流れが広まらなかったのは所謂「一向宗」と呼ばれた様に、信仰に関しては阿弥陀如来ただ一仏であるという教えを深く実践していたからでしょうね。

親鸞聖人も本願寺も表立って神道を否定しているわけでもありませんし積極的参拝はしなくともある程度の畏敬の念は持つべきであるの様な雰囲気はあったと思います

当地御門徒さんの家々で御内佛と神棚が同居しているなどということは珍しくも無いことです。敢えて聞かれれば「御内佛だけでよろしい」ということはお伝えしていますが。

 

 しかし20年に1度の社殿の新築は素人坊主の発想で恐縮ですが、1万本の檜を伐採しトータル570億円の経費といわれる今節の新宮造営にはどうしても「もったいない」を感じてしまいます。

 私が古い方が価値があるという世界に居ますのでかなり違和感があるといえばありますね。

「これが伝統だ」と言われてもあまり、説得力があるとは思えません。

 

 かつて私が本山東本願寺修練の際、食堂の箸は『これより「塗り箸」に統一します』、というお達しがありましたが、この理由は「自然の恵みを使い捨てにすることは人間の傲慢である」といったことを聞いた覚えがあります。

 そして子供時代から「使えるものは使えなくなるまで使い倒す」ことを教え込まれていましたので・・・。

実際はそうでもない「傲慢振り」ではありますが。

何より辛いことがあっても阿弥陀さんのお顔しか思い浮かびませんでした。

 

 画像は本年2度通過したお伊勢さん界隈。

お参りはせずともお土産屋やおいしい物をとチャレンジしましたが2度とも断念しました。

大渋滞のうえ駐車場満杯でストレス倍増、私は人の居ない山城が好きです。