古くは香華の絶えない街道筋 桶狭間

桶狭間の地名は一説に街道筋の泉のこんこんと湧き出る清水の勢いから水を汲む桶がくるくると廻る様子にしばし目を奪われたことに因んで「桶廻間」(桶が廻っている間)と呼ばれたともいわれています。

 他にも広範囲にその地を思わせる地名があったり由来がありますが明治十年までその「桶廻間」という地名(尾張国知多郡桶廻間村)が主に使われていたそうです。現在主に私たちが目にする「桶狭間」という文字に統一されたのは最近のことだそう。

 どちらにせよ、この地は知多半島の付け根の緩やかな旧領地で起伏に富んだ地形になっています。現代に至ってはその様なアップダウンはそれほど感じない場所です。

 

 場所は義元討死の推定地というニュアンスであくまでも他にも同様な場所があることを思わせる文言が記された看板がありますが、近くの国道1号線信号交差点の案内板にも「桶狭間古戦場」と記されている事、義元の墓碑(供養塔)が二つ建ち江戸期の人々のこの地が義元本陣であったことを想定した碑文が残ることから桶狭間本命の地でしょう(場所はここ)。

古戦場という感じはまったくしない場所、最寄りの駅は「中京競馬場駅」、殆ど住宅地になっています。

 

画像④明和八年(1771)七石表の一号碑  「今川上総介義元戦死所」でこちらで一番古い石碑です。

画像⑤「今川治部大輔義元の墓」は塚があった場所に近隣有松の人が明治九年に建てたもの。

画像⑥万延元年(1860)に建てられた義元三百回忌に因んで建てられた蓮台笠塔婆。「天澤寺殿四品前礼部侍郎秀峯哲公大居士」の銘。

画像⑧浄土宗の僧が建立した六字名号の「徳本の名号」と呼ばれる供養塔です。