居館跡は安土城のイメージで 近江八幡城

ロープウェイ駅脇からの山下りをこれでいいのかと疑心暗鬼で降りつつ秀次一統の居館跡を目指します。

この山は安土山の如くなだらかなものでは無く、近年の整備もされていないため殆どトレッキング山下りです。

考えればこの山に城普請してあっという間に城の体裁を作り上げてしまうというその当時の人員動員力、資材調達力技術力始めトータルの資金力といったら計り知れないものがあっということを改めて感じさせられる城です。

 現場では相当急がされたと見え、本丸等石垣の基礎部分には周辺地域から急きょ集められた墓石類が使用されているそうです。安土城の大手の階段も墓石が使用されていました。

単純に考えれば近隣にあれだけの資材が残っている安土城があるにもかかわらず石材を積極的にリサイクルしなかったのはどういうわけだったのでしょうか。

やはり秀吉に織田家への配慮がまだ少しは残っていたのか、安土再建の目論みでもあったのでしょうか。

 

険しい山と言っても稲葉山(金華山)ほどのものでは無く山道を下ればこの山歩きを日課としている地元の年配の方々とすれ違いました。八幡神社城下側に登山道がありました(八幡神社石標奥)。

秀次の居館跡はこの登山道入り口を目指していては辿りつくことが出来ませんので半分程度降りた山中の分岐点画像①の1を南方面に修正していきます。

地図で言えば「八幡公園」で、下からダイレクトで目指すとすれば「近江八幡図書館」の裏を目指します。

地図2が秀次銅像3が居館跡石垣群の位置です。

この城跡は山城らしい山城ということからメンテナンスを怠ればたちまち荒れて果ててしまいます。惜しいことに経年の地盤崩落が頻発しているようで山頂の出丸は立ち入り禁止。その先が居館の石垣がある大手道を推定すれば現状一番の見どころ、安土城でいえば大手道周囲の居館の類を連想しますが、そちらを夏草と竹藪そして藪蚊の欲しいままにされているというところが残念ですね。蚊が栄養を求めて虎視眈々、満を持しての様、夏期はこちらへ入り込むこと、相当難儀します。

中段⑧の画像が「一本道」、手入れほとんど無し。

一番最後の画像が図書館脇の八幡公園への道。この城を堪能するにはこちらからが正解でした。