「日中無常偈」 善導 往生礼讃 

相良菅山の谷あいの、ある施設表の陽射しの差し込むロータリーにて時間待ちのちょっとした間、立ちつくしてぼんやりと森の緑と白い入道雲を眺めながら思いました(場所はここ)。

 この特別な場所でのこの時間はこのところのどうにもならない力によって右往左往させられた流れの中、ふっと力を抜いて石灰山方面から流れてくる秋風らしき清々しさを感じる「リラックスたいむ」でもありました。

十二分に暑いといえば暑いですがね。

 

 この特異なシチュエーションにおいて久し振りに日中の陽の下にいて思うことは、善導さんの「日中無常偈」ですね。

善導さんについては以前にも何度かブログに記していますが(「日没無常偈」)、この偈文は夏の日差しの強い時に執り行われる初盆法要の冒頭に拝読させていただいております。

①石灰山、別名女神山②相良の港「がっしょう」埠頭の根本に沈む太陽③御前崎から見た相良方面

 

 

「日中無常偈」

 

諸衆等聴説           日中無常偈

しょおうしゅうぅとうちょうせぇ   にいちちいうもうじょうげ

 

人生不精進          喩若樹無根

にぃんしょおふうしょおじいいん  ゆうにゃくじゅううむううこおん

 

採華置日中          能得幾時鮮

さいけえちいいにいちう      のうとくうきじいせえん

 

人命亦如是          無常須臾間

にんみょおやくにょおぜええ    むうじょおしゅううゆうけえん

 

勧諸行道衆          勤修乃至真

かんしょおぎょおおどおしゅう   ごんしゅうなあいしいしいいん

 

みなさまがたお聞きください 

日中無常の偈を

ただ何となくつれづれ生きるなら

あたかも根のない樹のようである

摘み取った華花を日中に置けば

瞬く間に鮮度を失い枯れてしまおう

 

人の命もまたおなじこと

命 しおれる前に、無常のひとときをむかえる前に

道往く衆生よ助け合い勧めあい

勤めて真に根をおろそう