近江商人外村家宅床下から出た槍3本

近江五個荘の近江商人博物館(場所はここ)に立ち寄った時に見かけた槍は、近隣の近江商人屋敷の外村宇兵衛邸から見つかったものでした。

 外村宇兵衛元孝という近江商人の豪商に嫁いだ、名槍家と知られる旧彦根藩士石黒家の娘が、昭和十六年ごろに実家の形見分けで貰い受けたと伝えられる槍3本です。

外村家の床下から保存状態も良く見つかったとのこと。

現場での撮影は御法度で撮影不可でしたが

 

①穂先73.4㎝の大身槍 加藤清正お抱えの同田貫上野介作

②刀身21.1cm全長310㎝の十文字槍 藤原助道作

③刀身10㎝全長292㎝の正三角直槍 石道助利作

の3本でした。

大身の槍や十文字槍の出来栄えとその存在感を興味深く拝見させていただきましたのは勿論ですが特にその持ち主の洒落た粋の心に思わず笑みを浮かべてしまいました。

 

 通常非戦闘時は槍の穂(刀身)の部分には鞘を被せて自ら、あるいは友軍の兵を傷つけることの無いようにしていますが、上記③正三角直槍の鞘の形は「将棋の駒」の形をしているのです。それもその駒は「香車」(きょうしゃ・きょうす)なのでした。

将棋をされる方ならお判りですね。「香車」の別名は「槍」です。勿論表は「香」の字で裏側には「成り金」の文字。

「槍」が突き進んで相手陣内に入って(手柄)「金」に成ることとかけているのでしょうね。持ち主の心意気に惚れ込みました。

槍一本で大身を起こすこと、これが「立身出世」の近道の時代が戦国時代でした。槍へのそれぞれの持ち主の思い入れが感じられました。

 

画像は①近江商人記念館と②建物2階から見た観音寺城方面。この山に連なる北西方面が安土城です。観音寺城と安土城は尾根で繋がっています。③が記念館出てすぐ、観音寺城と中山道を隔ててある蓑作城山。⑤⑥が参考まで,当家の正三角槍とオーソドックスな鞘、サイズも殆ど同様。

下の画像は当時の近江報知新聞の展示品の紹介写真。鞘の画像はありませんでした。

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コメント: 2
  • #1

    久徳 宗次 (木曜日, 05 2月 2015 17:21)

    私も近江出身の久徳です。織田信長公お抱えの若狭守藤原氏作 大身槍があります。穂72.4cm茎73cmあります。近江商人記念館に2本展示すればどうでしょうか?

  • #2

    今井一光 (木曜日, 05 2月 2015 21:07)

    ありがとうございます。
    立派な槍とお見受けいたします。
    近江への思い入れが深いのですね。
    槍の出自や縁(えにし)が近江との関連性が濃いモノと判れば
    喜ぶでしょうね。
    ただし私なら、代々の家宝として大切に伝えていきますが・・・
    管理も大変でしょうが・・・
    何より御先祖の意思もあるでしょうからね。