威風堂々伏見城 実をいうと・・・

沖縄やかつてグァムやサイパンに訪れた時はレンタカーセットのツアーであったりしたものですから車であっちこっちと動き回ったものです。

しかし何故か京都という場での移動は公共機関利用が主になりますね。

というのは京都の土日祭日の清水寺の前の通りなど「微動だにしない」様子を目前にしていましたので、「歩いた方が早い」し「歩けば新しい発見がある」という点がその理由です。

とにかく一週間程度京都の街の中を「あっちこっち」するのは私のいくつか所望する「放浪」の選択肢の1つです。

夏の京都はいいですよ。マイナーな場所なら平日など殆ど人いませんから、暑すぎて・・・。

 

 この城は歴史上非常に有名な城で、戦国期後半から江戸初期にかけて大いに表舞台に立った経験がありますが、現在はこの外観威容であるにも関わらず、草ぼうぼうで「誰も人居ない」のです。

 築城は秀吉。秀吉の隠居場で京都「院政」の本拠地として使われ、江戸初期の家康はこの城に常駐しやはりこの城を中心に活動していました。

三代家光までこの城で「征夷大将軍の宣下」を受けるというのが習慣だったくらいです。

以降家光時代の一国一城令に矛盾(二条城の存在)するという理由から廃城、破却されて、その材はリサイクル、パーツ取りされて各地に散って行きました。

 

 ところがそんな城の経歴に人が見向きもしないのはこの「城らしい建物」はかつての遊園地、「キャッスルランド」の鉄筋コンクリート製の模造品だからです。

現在は映画撮影用に時折衣装替えされて使用されるのみで、ほとんど放置状態になっています。

バブリーな趣で少し可哀そう。集客できない理由は例の「耐震基準」でした。基準を満たすには莫大な経費が・・・

表向き過ぎてそれを無視することはできないのですね。

 ちなみにその「耐震基準」を厳密に評価されたら静岡県内のホテル、旅館等まともに生き残れるものは微々たるものと聞いています。

きっと曖昧な法の採用の仕方というものがあるのでしょうね。

 

 この付近は伏見区の桃山という地でJR奈良線桃山駅からとことことその名の通り「桃山」の、大手筋通りから緩い勾配を上がって行きます(場所はここ)。周辺はひっそりとした住宅地でもありますね。