「辻」とは 起点 岐路 交差点 山内一豊

2006年の大河ドラマは司馬遼太郎の「功名が辻」。

女性を前面に押し出せば「結構当たる」とその後の大河、女性主役ものの走りだったでしょうか・・・確かあの女性脚本家の手によってあの舘ひろしが「西部警察」バリに「じゃんじゃん」本能寺で鉄砲を撃ちまくった画が印象に残っています。

濃姫も信長も鉄砲で撃たれちゃっていました。この件でもNHKにはやはり「じゃんじゃん」クレームの電話が掛かってきたそうですね。あまり「調子にのって無茶やるなよ」ってなところでしょう。

太田牛一の「信長公記」では鉄砲をぶっ放しているのは明智勢のみで、信長はというと「初めは弓を持ち、二度三度それを射たが、滅亡の時が来たとみえ、弓の弦が切れ、その後は、槍をとって戦ったものの、肘に槍疵を受けたため退いた」とあるのみですから。

 

 さて小和田先生の書に「山内一豊 負け組からの立身出世学」という本がありますが、その山内一豊が妻千代の手を借りながら戦国時代の三人の雄、信長→秀吉→家康と性格のまったく違う主人に仕えて出世した姿こそ現代社会の特にサラリーマン諸兄の処世術に通ずるものがあるという内容です。

人生という遠き道のり(家康 「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し・・・省略」)を進むにあたって必ずどこかしらにキーポイント、ターニングポイントの様な分岐点が幾度もおとずれますね。仏教的には「縁」とか「機」と言いますし横文字に敢えて記せば「チャンス」かも知れません。

塩買坂の今川義忠の死から転がり込んだ伊勢宗瑞のチャンス等がそれです。その事件は勿論人生そのものを左右するようなたった1つだけのチャンスだったわけですが人の歩みには前方まだまだ多種多様な岐路、たくさんの交差点がありますね。

そのそれぞれの交差点に立たされた時、どのような発想でベストな道を選択して行くのかが「気転」となるわけです。

その「気転」こそこれまでの失敗や多少の回り道をしたことへの悔恨そして反省の経験がベースとして養われていくのです。

それが小和田先生の仰る「負け組」なわけでして言ってみれば「負け」の積み重ね経験こそが将来の「功名」の原点であるのです。いつも勝ち組の人は負けという事象に弱いです。いつも負けていた人は「勝ち」に対して前者とは違う価値観を抱きます。「勝ちへの価値意識」が甚だ違うのです。

そこに「有り難い」とか「謝意」という気持ちが現われて謙虚さが生まれると人は強くなると思いますね。

「勝って当たり前」と思ったその瞬間「お前は既に負けている」ということは歴史上頻発しています。

 

 昨今の遠州地区には駿州の富士山で盛り上がるような華々しいお話は聞こえてきませんね。大河放映当時、おかげで観光客が大挙して訪れていた掛川城周辺の賑やかさが嘘の様で、懐かしいことです。おカネをかけて綺麗にした掛川城周辺ですが、維持が大変そうな気がします。

 

画像は掛川城北側住宅地からの図。奥の台地が小笠山砦方面。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 28 6月 2013 16:03)

    負け組だとか勝ち組だとか。
    いつまでも勝っているわけではないし
    いつまでも負けているわけでもないし。
    それぞれがそれぞれの位置で一所懸命に生きれば
    万々歳。
    つらい生活が続いても最後に幸せがいいか、
    ずっと勝っていて最後に負けちゃったりして。
    どっちがいいかねー?
    最後は成仏するならどっちでもいいかな。
    何て思うのは負け惜しみですかね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 28 6月 2013 23:55)

    ありがとうございます。
    仰る通りで、勝ち負けに拘るのはどうも嫌らしき風潮だと
    思います。特にその感覚はことさら「蓄財と地位」に特化して
    いるようにも見えます。

    戦国時代の立志伝はいかに功名をあげるかを競った
    のですが、これはいわば「上手に人を殺して親様に忠義を表す」ということでした。時に代償として自分の命も犠牲になりましたが、「命がけ」で物事にあたることは何にでも当たり前のことですね。
    今は他人の地位や名誉を傷つけ時として命までを奪い去り我が身の立身出世というもののみが第一義に表現されているようにも感じます。
    「人の一生に勝ちも負けも無い、命そのものに価値がある」と断ずるのが真宗一義の教えでした。
    私は敢えて言えば「負け組」の方が気がラクでいいと思います。
    言葉の醸し出す「それでイイ」(まかせる)という感覚がまた阿弥陀仏に委ねる我が身であるという感じにも捉えられ、そして「生きるも死ぬも同じこと」あるいは「有無同然」という立場が心地よくあります。
    また内心、この寺を護るという現状は有り難くその機を評すれば「勝縁」であるとも感じます。