城山八幡宮 末森城 織田信秀―信勝(信行)

信貴山城から見た大阪湾に沈む夕陽眺めて、大河ドラマ「黄金の日日」のオープニングを彷彿とさせ、いよいよ堺という地に思いを馳せたのは今年1月のこと、日日、蒼惶として過ごし、はや夏至を迎えて、改めて時の過ぎるスピードの速さに驚かされる今日この頃。

 

 さて「黄金の日日」の「現場」、堺への訪問については別の機会として・・・、原作者、城山三郎のその「城山~」とは勿論ペンネームですね。

たまたま移り住んだ場所が名古屋「城山」(千種区)で作家活動の名のりと決めたのは余程印象に残った場所だったのでしょうね。

「城山」は名古屋でも中心街区にある小山で現在は城山八幡宮境内地、道路は縦横に走って付近には商業施設やマンションが居並ぶ「都会」ですのでやはりちょっと一服して清涼感を味わうにはうってつけの場所ですね。

都会にありながら神社の敷地となっていたため戦国期の遺構が比較的残っているこの平山城は末森城(場所はここ)。

付近道路には「末盛」の地名も残っています。また能登国に末森城がありますがそれとは別です。

 一説に「すえもり」の元は「須恵盛」だそうで山全体が陶器(須恵器)の焼成に適した土、瀬戸物等の原形になったとか。

 

末森城は鉄砲が我が国に伝来して5年、戦国期でも戦乱がピークに達する頃合いに織田家傍流の織田信秀が尾張統一と対今川の城として築城した城で、彼はこの城で42歳で病没しています。その子、次男(三男)の信勝がこの城に入りましたが兄の信長に清州城で騙し討ちにあって殺されました。

昨日記した「修理」、柴田勝家は当初から信秀―信勝の家臣で信長への忠誠は後になってから。勝家の活躍の場でもあったお城でした。

 

画像①②は付近の様子。⑦は神社敷地内の図ですがそのまま城址をイメージしていただければ・・・。

あきらかに堀、土塁等の跡と推測できる場所を多々見受けることができます。

末森城石標脇にクスノキが見えますが500年以上前の文献ではこの地区の字(あざな)を「楠」と呼んでいたそうです。