姫街道ならではの伝承 駿河姫と姫地蔵

気賀には姫街道という名にふさわしい伝承のある場所があります。

姫街道を獄門畷からさらに西へ。362号線から二俣の山側の道を右に行けば左手に「山村石材店」さん。

余談ですがこの辺りには山村姓が多いように感じます。

石材店を通過してスグ右手に普通車一台ギリギリで山を上がる道がありますが、その山の中腹にあるのが「姫地蔵」です。

当地気賀を江戸時代通して知行していた近藤家の姫様がこの地蔵に願をかけ、できものを治したといいます。山を降りたらさらに西へ。宅地の点在する緩い坂道を所々に建つ「姫街道」の小さな標識をたよりに登ります。

小高い丘の森の中にあるのが二宮神社(姫地蔵と二宮神社)。

浜名湖を望むことができます。

この神社は井伊家の姫様、「駿河姫」を祭っています。

後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝支持者の参集を画策し伊勢国大湊より陸奥国府(福島県伊達郡霊山町)へ渡ろうとしたところ船が座礁して遠江に漂着、引佐の井伊谷、井伊道政のもとに滞留してその間、親王は道政の娘河姫を妃としました。

二人の子には尹良(ゆきよし)親王がいたといわれていますが歴史的信憑性は不確定であるとのこと。

駿河姫は1338年、浜名新居の北畠顕家軍と合流しようと井伊谷を出陣した宗良親王を見送りに出向いたところを急の病で倒れ、当地で亡くなりました。この神社には彼女の鏡が祀られているとのことです。