カルトバスター 坊主の本懐 迷える子羊よ

まずは28日、東海地区梅雨入りです。

家の中で悶悶と耐え忍ぶ季節、早く明けてくださることを。

まぁあの梅雨明けの「ドP感」の青い空と太陽の歓びは、険悪なこの季節あってこそ味わえるものですから、しばし我慢します。

画像①は「なかなか綺麗じゃん」と見直した当山の紫陽花。

 

さて本山配布の「カルト問題学習の手引き」の冊子をご紹介いたしましょう。

内容は画像を眺めていただくとして、以前にブログでも記していましたが私の友人にしろ、親類にしろ、檀家さんにしろ「その手の」システムに乗っかってしまった人たち数知れず。

 

憲法20条の1

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

 

にのっとりどこのどなたもどういった宗旨の宗教に入るのも出るのも自由であることは人権として守られるべき基本的な事であることは言うまでもありません。この条文の後半部分も現代、相当ややこしいことと感じますが、我が宗派や良識ある宗教団体が組織だって政治に首を突っ込まない理由ですね。

 

よって一宗旨の末端の宗教者(曲がりなりにも)が他宗について誹謗中傷すること自体恥じ入る所で、表だってそれに触れることは憚れる、とかくデリケートな部分ではありますが、時として私にはこのことについて声をあげなくてはならないという半ば義務的な思いに駆られるのです。

それはやはり某洋物カルトに入信した友人の自殺という結末を目の当たりにして、その残された家族の悲惨な叫びと今とを常に関わりにしているからです。

親戚でさえ「その手」の入信があって、もはや坊さんの力など無いに等しいというか、それらへの流れはもうストップが効かないのではないかという諦めと焦りで一杯です。

 

私のカルト入信の人のイメージは

「無神論者の自分教」の人、「真面目で何事にも問題意識を持つイイ奴」がアブナイですね。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 29 5月 2013 09:39)

    お寺の和尚さんの何と無力なことか。
    若い人が悩んだとき、お寺に行くでしょうか。
    いい加減な宗教でも、いいかげんな集まりでも
    悩んだ気持ちが少しでも軽くなれば
    カルトでもなんでもその道に進んでいくでしょう。
    悩んでいる若者がどうしてお寺に足を向けないのでしょう。
    お寺自体が葬式仏教に成り下がってしまい
    そのことに甘んじているのではないでしょうか。
    ある種の諦め、悟りでしょうか。
    大東町(旧)の永福寺では檀家が少ないけれど
    いろいろな集客?をしていました。
    英語教室、写経、ご詠歌、等々
    あまりの多さにびっくりしました。
    まず人をお寺に集めることから始まっているようです。
    大澤寺の寺楽市も同じようなことだと思います。
    釣徳寺も龍典くんがコンサートでも開いたら
    どうでしょうか。(檀家に叱られるかな)
    お寺の位置、すべきこと、なかなか難しいですね。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 29 5月 2013 21:05)

    ありがとうございます。
    耳の痛いご意見です。
    私はそもそも坊さんに「力」など元よりあるとは考えていませんし、手をこまねいているわけではありませんが寺が社会において「葬儀式」以外の期待度をもって存在していないという現状は寺のありかたのみに責任があるとも考えられません。
     江戸時代の完璧な檀家制度というシステムが瓦解し、途中で頓挫したとはいえ薩長閥明治政府主導の廃仏毀釈、昭和の金属類徴収で寺々は存亡の危機をも経験させられ大いに疲弊させられました。
    そのうえに、社会は「講」という寄合を拒絶し、束縛を嫌い個々の自由への道を歩み出しました。その道は民主的発展に於いて不可欠であったとはいえ社会の発展とともに人々の生き方、信仰心は徐々に薄れてより実効性ある個人主義に傾倒していき寺へのそれ(葬儀)以外の関わりを自ら忌避していきました。
     寺に鎮座する坊主の高慢で高圧的な態度に端緒があったでしょうし寺の行き届かぬ諸処反省点は大いにあります。
    しかしこの過度な経済偏重のイデオロギーの流れはもはや行き着くところまで行き、どこかで一旦破綻の様なものを来さない限りもはや寺への、また信仰への回帰は無理なのではないかという諦めもあることは事実です。
    その考え方が破たんしたとしてもすべてがうまくいくとも考えられません。
    葬式仏教と揶揄される現状、寺の責任は重大で、お叱りは致し方無きことと思いますがそもそも私には「力」など持ち合わせていません。
    そしてこれからもそれら社会の潮流は激しくなることだけは確かですのでいずれ近いうちに寺院が淘汰整理されてしまう「寺の絶滅時代」が控えていることも察しています。
    そういう現状において「できることはやっていきたい」というスタンスですね。歴史的価値ある寺の存在を一番アピールできる寺子屋風の経営(仏教用語)はもはやそれらを生業とされている方が多く存在しているというのも
    社会の変化といいましょうか寺不要の要因となっていることも確かでしょう。まったく「無力」ではありますが自分なりのお寺の有り方を模索していきたいと思います。