瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず 今井陣場

小田原の懐かしい話から。

確か幼稚園の頃だったと思いますが遠足で小田原酒匂川に沿った工場地帯の「ハリス」という大きなチューインガム工場に訪問したことを憶えています。

楽しくてウキウキだったことから忘れられない思い出になっているのですが、当時その「洋物らしきお菓子」は子供たちを大いに魅了しました。

「食べ物なのに食べられない」(終いには吐き出さなくてはならない)その食物は子供心になんとも悩ましいお菓子でもありました。

他に御菓子の種類の無い時代、心底美味しいにも関わらず、飲み込んではいけないルールがあることなんて幼い者からすればまったく理解に苦しむところでしょう。

 自制心なんてクソくらえの子供たちは「飲み込むな、ごっくんしてはダメ」という大人の声よりもその口の中に現実に広がる甘さに負けて「味が濃いうち」親の目を離したスキに飲み込んだものでした。

そのハリスはいつしかカネボウに買収されて、そのカネボウもまた食品(クラシエフーズ)と化粧品(花王)に分割されて身売りとなりました。

流行り廃りの激しさと企業経営の難しさをここでも感じたものです。

 

 その酒匂川に面した工場の西側に「今井本陣」(場所はここ)があります。

校内水浸し事件で有名になった国道1号線、白鴎中学から北に数百m行った辺りです。

 

今井の陣場とは天正十八年(1590)、秀吉による対小田原包囲網、「小田原の役」の際、徳川家康が約110日間過ごしたといわれる徳川軍3万の本陣でした。

尚、地名は私の姓とは関係ありません。酒匂川流域で新しい井戸が掘られた場所だったのでしょう。

 

さて、「瓜田に履を納れず  李下に冠を正さず」(かでんにくつをいれず りかにかんむりをたださず)は二種のシチュエーションをあげて、『他者に「えっ?」と思われる(疑いの念を抱かさせる)ことは控えましょう』ということです。

蛇足で意を記せば

「人の目というものは常に疑いの心で他者を見るものである。瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また、李(すもも)の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われる。無用な疑いを招くことは避けたいものだ。

あとからゆっくり靴を履き直し、帽子を被り直せばいいのだよ」ですね。

 

 家康は3万の大軍を

①三島 から宮城野をへて明星岳を越え久野諏訪原

②箱根鷹ノ巣城を陥し湯坂越え

③北方より足柄城、新荘城を陥し足柄越の3つに分けてこの今井に集合させましたが、普通に考えるに尋常な場所での陣営ではありません。

総大将秀吉の石垣山本陣もそうですが他の武将たちが箱根外輪山の、小田原城を谷山で隔てたイザという時には四散できる場所に布陣したのに対し、家康は①先陣を切って②平坦な場所且つ背水の陣(背後は酒匂川)だったのです。

また、関東北条系との連絡網を分断するという場所であった要所ではあるものの東方から攻めあがられたとしたら小田原城との挟み撃ちにされる場所になります。 

 家康がこのようなハイリスクな役と陣に布陣したのは勿論、秀吉に無用な疑いをかけられないように心掛けた行動どころか、積極的に微塵も嫌疑をかけられぬように動くというアピールです。

 5代当主北条氏直の正室が家康の次女、督姫であって北条家から見れば義理父であることは誰でも知っていることでしたから。家康の娘婿、氏直が開城後、切腹を免れて高野山に向かったのはそのためです。

 家康は「疑いをかけられぬよう無用な動きをしない」というよりも積極的に動いて周囲の疑いを晴らしたのでした。