北遠の秋葉道(塩の道)  高根城

よりによって峠のトップで発生したブレーキ故障を何とか誤魔化して水窪町まで無事に降りることができたら目的の地へ。

水窪町は浜松から長野県茅野、上田へ山岳部を無理やり北上する国道152号線(秋葉道)が走っていますが「青崩峠」が有名です。その峠道の迂回路としてあった、その名も「兵越峠(ひょうごしとうげ)」は元亀三年の武田信玄による遠州侵攻において通過したといわれますが、ローカルニュースでは毎年10月の第4日曜日に「峠の国盗り綱引き合戦」で今年はどっちが勝ったという話題が放映されています。

大雑把にいえば浜松市と飯田市の堺ですが中央構造線というプレートの境界線の真上にあります。

地盤は脆弱で地形も急峻ということもあって今だ「途中不通区間」となっています。

しかし今、信州方面に行くのでしたら新東名高速から分岐して「三遠南信自動車道」というのが出来ていますのでそちらを利用した方が安全でしょう。

   

 その目的地は高根城(久頭合~くずごう~城)。

この城で過ごして車のブレーキオイルを冷却し、あとはブレーキを酷使しないよう低速走行して帰還するという作戦でした。

JR飯田線という路線も併走する町ですが、丁度この城の真下を貫通しています(場所はここ)。

 

この城、遠州城跡数多あれど遠州最北端の辺境です。

国人領主奥山氏により15世紀初頭に建てられたと言われています。

駿遠国人領主の興亡のパターンですが、

当初今川でその後、徳川→武田または武田→徳川の配下という形です。今川時代には北遠江全域を支配するまでの大家となりましたが殆ど今川凋落と期を一にして綻びを出現させています。

こちらの奥山一族もその例に違えず、家中それぞれの派閥に内部分裂して終には崩壊したという形ですね。

 武田が侵攻を開始した直後は即座に武田方の国境と街道確保の重要拠点として整備改修されましたが、武田家滅亡と同時にその意義を失い廃城の憂き目にあっています。

 

 それにしても高根城は辺地の山城であったことが功を奏し比較的遺構は良好に残存しています。

また最近の精力的かつ真面目な(文献、考古学調査に基づいた)修復作業、復元考証(広島大学 三浦正幸氏)により戦国時代の山城の雰囲気を味わうことができます。

おそらく山城城址の復元の丁寧さと山頂からの絶景は遠州では随一です。

勿論、この城は「石垣の城」では無く、堀切・土塁の遺構を楽しむ城ですね。

 

特にこちらの復元「薬医門」等は今後復元される予定の島田、諏訪原城の「薬医門」のお手本になるなど、一つの指針になっています。

この城は「人気の城」ですし個人的にもかなりお奨めです。

詳細は各サイトに色々とアップされていますので各人お調べを。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 13 5月 2013 11:04)

    青崩峠の入り口にある「足神神社」は
    この辺りでは月に一度水をいただきに行く人たちがいます。
    トラックに水タンク、電動ポンプを積んで行くのです。
    おいしい水との触れ込みです。
    また、山住神社から水窪へ降りる坂道の途中のある滝も
    いい水だそうです。
    掛川の奥の明ケ島にある水を取りに行く人たちもいます。
    私は先日山梨県北杜市の水を持ってきたので
    それを飲んでいます。
    冷やすと他の水と違って「キ~~~ン」という
    感じがします。硬水なのかな。
    確か足神神社、掛川の水は軟水かな。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 13 5月 2013 21:33)

    ありがとうございます。
    水を汲みに行かれる方の話は私もよく聞きます。
    檀家さんでお二人ほど存じ上げていまして、場所は
    2~3程度「ここ」と決めた場所がある様で、大抵はこの
    水窪界隈ですね。
    私もペットボトルで戴いて賞味したことがあります。
    ふわっと柔らかい感じがしました。

    持論ですが水は健康の元だと思います。相良の水道水は塩素分が強く、これをそのまま飲むのは美味しくないこともありますが健康にいいはずはありませんね。
    当家水道蛇口には浄水フィルターを装着して使用していますが毎月水窪に汲みに行くということには本当に御苦労なことだと思います。
    特に冬場の難儀について伺ったことがありますが相当なリスクを負っていますね。
    水窪の水はおいしいですが私は浄水器の水道水で我慢します。