美しい石垣 松阪城

蒲生氏郷は出身地近江蒲生の日野城から伊勢の松ヶ島城に転封されてからさらにこの地の高台、四五百森(よいほのもり)に城を建てて本拠としたのが始まりです。

 

  信長時代に安土城を手掛けている蒲生は旧来配下の近江穴太衆(あのうしゅう)を連れて石垣を組ませ、また近江商人や伊勢で羽振りの良かった商人を招いて、安土城同様に楽市楽座を行い商業都市松阪の基盤を整えました。

石垣はその後江戸時代、紀伊藩に編入されてからのものも発見されています。

 

信長恩顧のキリシタン大名、蒲生氏郷(洗礼は信長没後 洗礼名 レオン)は秀吉により奥州の伊達氏封じ込め予防線として会津に松阪の7~8倍以上の領土に転封となりました。

 

 当家横浜在住の親類に福島訛りバリバリで白虎隊の話になると「元気」に拍車がかかる「黒川のおばさん」がいますがその人は会津出身です。

東北地方にはその黒川姓が多いのかは詳しく知りませんが私の知りうる限りその姓は東北地方のみですね。

 

 その会津「黒川」という地に蒲生氏郷は自己流の手法で城を構えますがその際、本来の故郷蒲生の氏社の近隣の「若松の杜」の「若」と松阪の「松」を合わせ「若松」をその地の名とたといわれます。(氏社だけで「若松」ですが・・・)

 例の如く旧来の地の商人たちを呼び寄せて楽市楽座を展開し後世会津繁栄の祖となりました。

 

城址はあれだけのスケールの遺構が残されていることだけでも立派なことです。

初春の植物が繁茂する前の画像でした。