松阪公園二題 「源氏」はダメよ

蒲生氏郷が天正十六年(1588年)に建立した伊勢松阪城の鎮守として造営された神社も八幡神社(場所はここ)。

武家、特に源氏の祈願社は大抵が「八幡」で決まりですね。

ただし氏郷の故郷、今の滋賀県蒲生郡日野町(場所はここ)の馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社が代々の氏神ですので、城持ち大名として出世してからの「武士の習い」だったということです。

 そもそも彼の宗旨というものをあえて言えば高山右近に連れられて耶蘇(キリスト教)に入信していますので・・・。

やはり神社という存在は自分が信ずる神仏、宗教的観念とは異にするものなのでしょう。

 松阪神社は今の松阪公園内にあるのですがその一角には本居宣長の邸宅跡があります。本居宣長といえば松阪の偉人として地元では尊ばれている方ですが私個人的に云えば苦手な分野ですね。ブログにも記しましたが過剰な国家神道、王政復古の端緒となって明治の失態「廃仏毀釈」へ導いてしまったということは少なからずあったということ、私自身、王朝文学=源氏物語が私の「受験」時、特にどうしようもなく嫌いで、逃げ回っていたというトラウマがあったからです。

古文、特に「源氏」は大嫌いでしたから・・・。どうしてもその内容が「チャラチャラした連中の宮廷絵空事」の様に感じてしまいました。大好きな方々、いらっしゃいますね。失礼しました。

教科に苦手を作るとずっーとあとをひきますね。

 

数学が苦手、古文国語が苦手、英語が苦手、好きなのは日本史だけ。おばかのお手本のお話でした。