無慈悲な改易に切腹 駿河大納言忠長

小説「駿河城御前試合」の「御前」とは、駿府藩主徳川忠長の事。

忠長は三代将軍家光の弟です。母は浅井長政とお市の娘のお江与(お江)です。顔も面長で信長に似ていたとか。

会津藩の大元、保科正之は異母弟となります。

 

 将軍継承問題で竹千代(家光)と国千代(忠長)双方の擁立争いは壮絶で結局は春日局による「大御所直訴」により家光の勝利となります。

家光将軍継承の後、忠長は駿府に入りますが、兄の家光に次ぐ権威を誇った為、家光に疎まれました。

何しろ生まれたときから「利発で快活」、当然に無口で陰湿な兄、家光より抜群に人気がありました。よって世は2人の将軍が天下に居るようなイメージになっていたのかと。

 

忠長の改易の理由はさも当然の様な理由が上がっているようですが当時の家光による大名改易政策の一環で「身内にも厳しい」という公然の見せしめともうけとれる処遇でした。

どうみても自分より人気があり後々自分の地位を脅かしかねない弟との確執です。そう、ただの兄弟喧嘩。

 

「逼塞」の沙汰の上、切腹 ですから周囲は震え上がったでしょう。

 

画像は静岡浅間神社。忠長が御咎めを受けた理由の一つ、徳川家庇護の浅間神社境内地、賎機山の猿を退治したという話が残ります。

 

①重要文化財26棟のうちの大拝殿は高さ25mに及びます。

出雲大社本殿(24m)より高く、神社建築日本一の木造建築物です。②麓山神社、極彩色に彩られた破風に③左甚五郎の作と伝わる白馬です。