当家の娘、五六八(いろは)  ごろつき

「ごろつき」という言葉、以前より耳にしています。

①住所や定職をもたず彷徨う者②企業対象暴力およびそれを行う者のこと( 会社ゴロ、特許ゴロ~「パテント・トロール」等々)

要は「ややこしい」人たちの総称の様ですが最近の例でいえば①は吉祥寺の事件の如く若年系短慮による犯罪者及び犯罪予備軍。

余談ですが吉祥寺在住(事件近隣)の私の叔父の家へ報道陣が押し掛けたそうですが、それは捕まった少年の姓(父方)がたまたま同姓であったための間違いだったそうです。

 

 若い衆に人気のあの駅前と閑静な住宅地吉祥寺、最近になって事件が多く発生しているように思いますが、東京という誘惑数多ある地に子供を単身住まわすという選択肢は以前の様にとれなくなったような気がします。

 

 ②は2日のTBSの報道番組で取り上げられていましたね。

「"費やした55億円、水の泡に 特許庁がシステム開発中断"」

特許庁が東芝SOLに発注したシステムの件で、国民の税金が無駄につぎ込まれた話ですが、東芝SOLの下請け会社に例の強大組織の幹部の経営する会社が入っていたといいます。

東芝SOLの事業落札も不可解な点が多いとのことでした。

 

 特許庁のコメントは「悪いのは東芝SOL」と息巻いているようですが、この事案は大企業が申請する膨大な「特許」群には多大な利潤が潜在的にあることを物語っています。

そのお国のシステム(企業にとっては極秘)に大手を振って簡単にアクセスできるためのものを目的にしているのでしたらいやはや彼らの知能、相当な領域に入っています。

 

さて、「二足の草鞋」については「日本一首継(くびつなぎ)親分」の「安東(西谷)文吉」や「静岡県人」で記させていただきましたが、静岡という地は全国的に「その道」では中心的地域であって、過去多くのその世界の有名人が静岡から出ていますね。(安東文吉、清水次郎長、森石松・・・)

 

さて当山過去帳から

文久二(1862)九月二十九日 法名 釋開道 升屋冨吉―相良富五郎

という人がいます。相良市場(いちんば=相良の古い地名 現在の陣台山の北、本通りの東端、川の近く)のある家に婿入りし、その世界に頭角をあらわしていきます。

当時この地区で大きく賭場を開いていたそのスジの人だったそうですがかつて私の学生時代、いかつい方々が何処からともなくやって来て、その人の名を告げ「墓参りさせてほしい」とやってきたことが思い出されます。

10年ほど前もその手の人が深夜タクシーで境内にまで乗り入れて来て「墓は何処だ」と怒鳴りちらされたことがありました。 

 

 賭場が開帳されていた相良は刃傷沙汰が各所で発生していたようですが、富五郎親分は一時は関東まで名を轟かせる大親分だったようです。

当時、祖父が案内していましたが、今はまったくどれがその人の墓かわからなくなってしまいました。

今後お天気の日にゆっくりと探索したいと思います。

また、詳細は郷土史家の河原崎次郎氏の書籍にあると思いますのでこちらも今後の課題ですね。

 

 破落戸(ごろつき)を私はてっきりその「富五郎」の如く「五郎」が付くので~五郎尽き・・・~と呼ばれていたと思っていましたが実際の所はどうなのでしょうか。

結構そのスジのお歴々に「〇五郎」さんというお名前を拝見しますが・・・。

やはり意識的に銘々するのでしょうね。

安東文吉の弟は辰五郎でしたし・・・。

 

 飯岡助五郎という人もやはり文吉と同様、相撲取りあがりの「二足の草鞋」(十手持ち)。

この侠客も一説にこの相良にいたといいます。またまた余談ですがあの子母沢寛の『座頭市』のモデルとなった「市」という人物はその助五郎とのライバルにあった笹川繁蔵との間のいざこざの中に実在したそうです。劇の様なスーパーヒーローでは無かったようですが。

 

画像は当家近隣「いなばや」さんの桜もちとモニター画像の自分にちょっかいを出す五六八(いろは)。