春の兆しどころか みぞれ混じりの小田原

14日の小和田先生情報(→ブログ)、先生のブログを見てハッとして16日の小田原城御用米曲輪現地説明会に行ってきました。

10時からの説明会に出て、重ねて15時からの先生による駒澤大学での講演「戦国大名の戦死者遺族への戦後補償」を聴講に行くつもりでいましたが、聴講の方は断念いたしました。

題材も面白さ満点でまたいつかチャンスをゲットしたいところです。

 

 まるで先生の予測していたが如く前日は天候不順で、まったく近づくまで(東名沼津から三島経由箱根超えコース)ノー天気で小田原に向かったのですが、何と前夜の降雪によるチェーン規制。朝起きて確認を怠った私の凡ミスです。

 

 峠(箱根新道)で昔の知り合いに停められれば「四駆でスタッドレス」(ホントは普通タイヤ)とか何とかデタラメを言ってGOしてしまおうかとも一瞬は考えましたが、あの時から時間も経っており若い人にゴチャゴチャ言われて引き返すという恐ろしさと三島の登り口の車両の多さを見て東名沼津に反転。一般道も規制、ターンパイクは通行止めもいつものセットでしたので致し方無かったですね。

 

というわけで結局大幅に遅刻。10時の説明会の参加は不可能でしたので13時に変更し墓参りなどしてぶらぶら。

1130頃小田原城御用米曲輪(当ブログ)を見下ろす現天守閣の下、鉄門あたりに来て、現場にだれでも自由に出入りしている様子が窺えました。

それではと13時まで待つこともなかろうと、現場に向かいました。

ここは以前は観光客用駐車場。その前が野球のグラウンドで、私は幾度かここで野球をしたことがありました。

駐車場時代のコンクリを剥がしたら昭和の遺跡、ホームベースが出てきたそうです。

 

先生が革靴が泥だらけになって閉口したとありましたがやはり前日の降雨と当日のみぞれ混じりの悪天で現場は相当ぬかるんでいました。しかし市の手配で歩行路にはシートが張られていましたので歩きにくいこととみぞれが酷く冷たくはありましたが何とか回ってきました。

楽しい一日でした。詳細は明日以降記させてください。

 

画像①②は墓参の境内にて。③は御堀端通り、警察署付近からの小田原城。無茶苦茶以前と変わっていました。

相当お金をつぎ込んでますね。小田原市。

 

2月9日 神奈川新聞記事より

小田原市が小田原城址公園内の小田原城跡地で進めている「御用米曲輪(ごようまいくるわ)」の発掘調査で、庭園跡が新たに確認された。

昨年八月には、重要な大型建物を支える目的で使う礎石が近くで見つかっており、小田原北条氏の主殿が周辺に存在した可能性が高まった。

 庭園跡は、地上から深さ三メートルの場所にあり、庭石と思われる直径約一・二メートルの大きな石材が複数見つかった。

 石組みの水路や五輪塔の火輪(かりん)部分を使った池か堀の護岸遺構も出土。砂利や玉石がモザイク模様に敷かれ、地元の河原の白い石や黒い切り石のほか、黄色い砂岩「鎌倉石」など、遠方から運ばれた石も交じっていた。

 「史跡小田原城跡調査・整備委員会」の委員で、戦国時代の遺跡などに詳しい伊藤正義鶴見大教授らが発掘現場を視察し、大きな石材や水路、敷石などから庭園跡と確認した。

 市文化財課によると、大名レベルの居館遺構に見られるような庭園で、担当者は「今回見つかった水路の向きが、昨年確認した礎石建物跡と同一であるため、同時期に存在した遺構とみられる」と話している。

 宴席などで使う素焼きの杯なども見つかっており、調査を進めることで、文献史料などでしか垣間見えなかった北条氏の生活がより明らかになる。

 文化庁からは、上の層にある近代遺跡を守りながら調査を進めるよう指導が出ており、担当者は「主殿発見につながる大きな手掛かりになる可能性もある」と期待を寄せる。