松より浪は 越えじものぞと 八幡 多賀城

昨年の東北ツアーは瑞巌寺前の船着き場から塩釜港に上陸してから多賀城市内を通過して仙台空港に向かいました。

 

 さて古来より和歌で謳われた「松より浪(波)は越えない」系のフレーズは「絶対に何があってもこのラインは越えないのだ」という「これ以上先はあり得ないリミットライン」のことを意味しました。

しかしまず、この言葉は「男女間の愛情の永久不変」のことを表していますので、実際の人間界のその手のモノこそこれまた変化しまくりであってそれこそ永久不変などあるものかと鼻で笑いそうになるのは、下世話で俗っぽい我が身の恥じ入る所。

 

 この比喩が巷に広がって和歌にて「松-波」といったら上記の意味であり実証的見地からの確証により決まり言葉が比喩として成立したのだと思います。

 

その松は多賀城、宝国寺の「末の松山」と云われています。

古い伝承で多賀城の「八幡」(場所はここ)という場所からこの松まで逃げてきた家族の話があるそうです。

八幡は津波に襲われましたがこの「末の松山」は無事だったというものです。

そういう「ガチに安全な場所」=「不変の恋愛感情」の譬えが中央(京都)にて普通に使用されて皆が理解していたということが驚きなのです。同様の比喩に「末の松山 波越さじ」などというものがあり「末の松山」というだけで「硬い契り」を意味しました。

 

 要は「末の松山」は「絶対安全な場所である」ということが人口に膾炙しているワケで言い換えればその辺りの地は何度もその手の被災があり「地震が来たら高台に上がる」ことは遠く離れた京都の人々であっても「当然の事」であったということが判ります。

あの情報伝達手段の限られる中、気の遠くなるような遠方の出来事が日常の歌の中に何の気なしに使用されていることはまさに驚愕でした。芭蕉もここを訪れその「検証」にあたっています。

人間とはどんなに痛い目に遭っても時間の経過によって忘れてしまう生き物なのですね。そして津波こそ高台に上がれば安心を得られますが人間の愛情というものどんなに強くても命限りのある我らにとって無常であるという結論も導かれます。

 

画像は塩釜港。

ここいらのカモメはせんべいを手渡しで啄みます。

高速でやってきて一瞬ホバリングしてからさらっていきます。

松島の島々にはその名の通り松が植生していますが、そのように松は潮に強いと思っていました。画像の島々も潮に浸かったといいますし・・・。

あの一本松は塩害で枯れたといいますが今一つ不思議なところです。

 

うらなくも 思ひけるかな 契りしを

     松より波は こえじものぞと(源氏物語) 

きみをおきて あだし心を わが持たば 

     末の松山 浪もこえなむ(古今和歌集)

契りきな かたみに袖をしぼりつつ
     末の松山 波越さじとは(後拾遺集)

浦ちかく  ふりくる雪は  白波の

               末の松山  こすかとぞ見る(古今和歌集)