ネコの「いろは」は「五六八姫」から

昨年の報恩講前日、本堂の幕を張っている時に突如として現れた野良の子ネコは翌日の賑やかな本法要の中、出店のたこ焼き屋さんから出た鰹節やら何やらをもらったり子供たちに追い回されながら境内に居続けて二晩夜を明かしました。

彼女が来て3日めの昼に雨が降り出しましたのでちょっとお招きしようと接待したのち家の中をずっと駆けずり回っています。

障子やカーテンをバリバリ駆け上がります。

あまりの五月蝿さに家族も氏真も辟易。今の所「何をしでかすかわからないほどのお転婆娘」ですので適宜ケージに入れています。

 

親鸞さんの日(報恩講)に親鸞さんの像の回りをちょろちょろと出てきたことと一休さんの親鸞さんを謳った

 

「襟巻きのあたたかそうな黒坊主

         こやつが法(のり)は天下一なり」

 

の「黒」に因んで我家の養女といたしました。しかし厳密な黒ではなくネコの世界では「ブルー」というらしいですね。

 

さて「いろは」という銘々は伊達政宗長女の「五六八姫」からですが、和風の女子の名はイイですね。ドラマの「塚原卜伝」2回目から出てくる「かの」という娘の名も良かったです。

 

 五六八(いろは)とはストレートに読めばゴロハチ。

政宗の婚姻15年目に待望の子供ができました。

ハナっから御世継がでてくるものと決めつけてその「五六八」を用意していたそうです。

ところが姫。相当落胆した政宗はそのまま名の読みを「いろは」にしました。

 

生まれは京都の聚楽第屋敷。徳川家康の六男の忠輝と婚姻しますが忠輝改易と離縁の憂き目にあって仙台にて以後一人で過ごしました。

 

 彼女の院号が天麟院(てんりんいん)、その名の寺が瑞巌寺のスグ南側にあって彼女の墓苑があります(だいたいこの辺り)。

その裏手には鎌倉の洞窟墓地(やぐら)と同等の洞窟墓がありました。中には五輪塔が並びますが「お国変われば」ですね、関東・中部地方で良く見かけるそれとは大分形が違います。

「地・水・火・風・空」それぞれのパーツが心持ち皆上下に高く、全体的に細く高く感じます。「水」の部分がおだんご状の真ん丸では無いのはその上に載る「火・風・空」が比較的大振りで、安定性重視なのでしょうが、上部相当重量がかかりそうですね。

 

しかし洞窟内まで足を踏み入れる観光客は居ないのか洞内の五輪塔の1/3は上部が崩落したままで放置されていました。

きっと地震で崩落したのち、ここまで手が回らないでいるのでしょうか。

 

  

 

以下現場案内板より。

 

天麟院洞窟群

天麟院は、仙台藩伊達政宗と正室陽徳院(愛姫 めごひめ)との第1子で長女です。

五六八姫(寛文元年1661年没)の廟所及び菩提寺(万治元年1658年開山)です。

本堂上の霊廟背後には凝灰岩壁を掘削、加工した5つの洞窟があり、北から数え、第1窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔があります。

第2窟は政宗の四男岩出山領主三河守宗㤗の供養塔を中心に左右に十人の殉死者の塔があります。・・・・

 

追い腹を切ったとは恐ろしい。今とは価値観が違います。