ではどうしたらいいの? 医療から福祉へのシフト

昨日の続きを。

私こと坊さんたる身はもとより一向宗門徒(この言葉は現本山では使われませんが私は好きです)であり信ずるものは阿弥陀如来一仏、指針たるは御開祖親鸞聖人と七高僧を筆頭とする各「善知識」、そして当山ご門徒様御一同を心の柱としていることは言うまでもないこと。

 

 ただ生き永らえて、微力たる身にて至心懺悔、猛省そして感謝の日々を送る私において「職業蔑視」はいけないこととは知りつつもあの職、「議員トーク」にはまずむかっ腹が立たずにはいられません。

 

彼らの共通の立場はまず、「利権と保身」ですね。

よって議席の確保と党の拡大のため「二枚舌」はやむを得ないというスタンスと最近では目立って台頭している「維新」とやらの「双頭」の共通点です。

強圧的な話術によっての「超、上から目線」で周囲を抑え込まんとする態度。最近は学級委員の如く「リーダーシップ」とか言うそうですが、あれではムッソリーニ、ヒットラー、ついでにトージョー・・・まるで独裁者の如くです。

 

 「奇をてらった強圧的な態度での変更の指示」はひとつの大衆への自己アピールなのでしょうね。大騒ぎしてマスコミ等巻き込んで露出度をアップした割には案外大した変更になっていないところもミソ。(あの高校の体育科の廃止→普通科としての変更・尖閣東京都買取→政府買取)

 

「維新」(元々私の大嫌いな言葉)の難解なところといえば元東京都知事が合流したのも驚きましたが、元知事があれだけ罵倒していた現第一党に所属する息子たちが出る選挙区には対抗馬を出さなかったという不可解です。

吉本新喜劇でしたらここも突っ込みを入れるところでしたね。「二枚舌」たる由縁です。子供は可愛いものです。親バカですか?

 

キリが無いですが最近だと「TPP参加の話は参院選後に」なんて凄まじく聞き苦しい内輪話も聞こえてきましたね・・・。

「TPP絶対反対」と言って農家の票を集めて勝った後にサクっと掌を返す様相。

 

さて、この国が福祉について一流(揺りかごから墓場まで)になりきれない理由は政治家が上記の様な体たらくの環境に永らく跋扈していたことと、超大企業との利害を一致させているところにあります。持ちつ持たれつの関係ですね。

大企業を優遇し、地方の中小企業や個人商店は淘汰されても仕方が無いというスタンスです。それが輸出産業重視(円安誘導)であり国内産業空洞化による不景気に通じているのでしょう。

これは企業の海外進出傾向による国内雇用縮小の状況を改善しない限りここのところの円安指向など大企業の利潤を増やして内部留保させるだけであって景気回復には殆ど繋がらないと思いますね。

ジャブジャブの低金利のおカネも企業は借入もせず設備投資もせず、廻って行きませんよ、しょうもない!!。

 

 まずは大企業をたらふく儲けさせるという手法は正攻法ではありますが、果たしてその恩恵が社会福祉に向かうのはいつの事でしょうかね。

 

弁護士の田中早苗氏があるべき姿を

NHKの視点・論点 「終末期医療・お金の使い方」

にて論じておりますので添付させていただきます。

国の方向性が問われています。

 

弁護士 田中早苗 2011年07月21日 (木)

「お金の使い方が間違っている」と憤慨することがよくありませんか。私の場合、たとえば、刑務所。
全国の刑務者に入所している60歳以上の人は、1万人ほど。

受刑者全体のおよそ14%を占めています。そして、満期で刑を終えたものの、5年以内に、刑務所に再び入る高齢者の割合は、およそ70%にのぼります。65歳以上の再犯者のうち約4分の3が2年以内に再犯に及んでいるというのです。
このように増え続ける高齢受刑者に対応するため、83億円の予算を計上し、広島、高松、大分の3刑務所に、エレベーターや廊下の手すりを整備したバリアフリー型の「高齢者収容棟」を設置しています。今や刑務所は無料の福祉施設でもあるといえるのです。

しかし、長崎県にある地域生活定着支援センターは、2009年、刑務所に入所している時から、出所後円滑に福祉へつなぎ、社会生活に移行させるための支援を始めました。それが成功し、国もやっと平成21年度には、地域生活支援事業を創設し、各都道府県に支援センターを1箇所設置することになりました。
治安や矯正に税金をかけるより、「福祉」に税金を費やせば、経済的にもお得で、治安も維持され、元受刑者の生活もよくなるという事例。

さて、同じように、お金の使い方が間違っているとおもうことが、「終末医療」にも見られます。
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歳以上の高齢者の医療費は2010年度予算ベースで128兆円。高齢化の進展に伴い、25年度には2倍程度に膨らむと試算されています。確かに、高齢化は進んでいるのでしょうが、そもそも何でこんなに医療費がかかるのか不思議です。
厚生労働省によると2009年の1年間で、最も多かった国内の死亡場所は医療機関で81%、自宅での死亡は12%にすぎないとされています。
そして、統計によって異なりますが、終末期医療費が全老人医療費の20パーセントを占めるとか、国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2ヶ月に使われるという報告があります。医療の世界では、延命医療はドル箱といわれているという専門家もいます。
しかし、病院での死亡というのは本当に人々に望まれていることなのでしょうか。
自宅での死亡は12%しかすぎませんが、2008年の調査では、一般国民の63%が終末期の自宅療養を望むと回答しています。希望通り、63%の人々が自宅で、少なくとも介護施設で終末期を迎えれば、多少の介護費用の増加を見込んでも、老人医療費が大幅に減ることによって、かなり節約できるのではないでしょうか。つまり、医療に税金をかけるより、実は「福祉」に税金を費やすことが、経済的な視点だけではなく、人間らしくいられるとおもうのです。

しかし、終末期、病院に入らないでいることは難しいといえます。
自宅や施設で苦しんでいる老いた親を前にすれば、もっと長生きするために病院にいってくれと子どもは訴えるでしょう。そんな子どもの意見を振り切り、家族の負担がかかる訪問治療という自分の希望を貫くのは難しいことです。
そして、いったん、病院に入ると、人口呼吸器をつけられたり、病気はなおっても、食事を飲み込む力、嚥下機能が低下しているから、胃ろうにしたほうがよいなどと医師からいわれることもあります。
胃ろうとは、胃に穴をあけ、そこから栄養を補給する方法で、先端にバルーンがついていて、抜けないようになっています。1990年代後半から日本でも急速に広まり、2008年現在国内の患者数は30万人にも上るともいわれています。
食事は、人生の中でも楽しいひと時です。それが失われてしまうのです。
自分の意識がはっきりしていれば胃ろうは嫌だと断れますが、認知症や脳血管障害などで意思表示がなかなできない場合、その判断は家族に任されてしまいます。仮に、家族も胃ろうを施したくはないとおもっても、医師から「栄養をとれないのだから栄養失調になるよ」、「それでは、これからどう介護するのですか」といわれれば、やむなく承諾してしまうのではないでしょうか。
胃ろうにより栄養状態はよくなりますが、長年、寝たきりの状態で過ごすことになってしまった場合、それを本人が喜んで受け入れているのか、認知症ゆえに確認のしようがありません。
料理研究家の辰巳芳子さんはお父様が半身不随で入院したとき、飲み込む機能、嚥下機能が低下した患者用の食事に接したとき、こんな食事で、人生の閉じ方をさせてはいけないと思ったそうです。そして、命の元となるスープ、命を支えるスープ作りをはじめられました。辰巳さんは、「食べる」ということは、呼吸と等しく、いのちの仕組みにくみこまれているものであり、「食べる」ことは、自分を尊ぶこと、生きることそのものなのだと述べられています。
そして、食事を摂れなくなったとき、スープやゼリーさえも摂れなくなったとき、最後は水を含ませた脱脂綿で水分補給させ、自然な穏やかな死を迎えるべきだという医療関係者も大勢います。
最先端の医療を施し、人間として生まれた以上、11秒でも生き続けるべきなのか、生活の質(QOL)に重きを置き、自分らしく生きるべきなのかなど、各人の価値観によって終末期医療に対する考え方も様々ですが、辰巳さんらの言葉は大変重いものです。

しかし、最後まで人間らしく、自分の意向に沿った医療やケアが受けられるか、それは大変困難です。
世上よく出回っている尊厳死協会のリビング・ウィルは延命治療を望まない意思を事前に書面化する制度です。しかし、それは、延命治療に関するものです。
延命治療は最後の最後で、その前に認知症になったり、判断能力が低下したりしたときに、胃ろうの措置をするか、骨折、癌などの病気に罹るなど手術や治療をどのようにするかについて、家族の判断に任されてしまうのです。
成年後見人などを家庭裁判所で選任すればよいと皆さんは思われるかもしれません。
しかし、成年後見人は、医療に関する契約をすることはできますが、具体的な医療行為について同意する権限がありません。
したがって、高齢者になってどのような医療行為を受けるのかについて事前に指示する書面を作成する必要があります。できれば、毎年のインフルエンザ注射、癌などの病気であるかを調べるための検査、手術すれば予後が良好と考えられる手術などについて、承諾するか否かなども書面に記し、主治医に渡しておく方法などが考えられるべきです。
しかし、このような広範な医療行為についての事前指定書を作成するにも医師や法律家の専門家のアドバイスないしは定型的な書式が欠かせません。しかし、現状、このような支援体制や定型的な書式はありません。
まずもって、このような制度つくりにお金を使う、税金を使うことが望まれます。