門松は 冥途の旅の ②

憎まれ口を叩かずにはいられない田舎坊主でございます。

 

 年末はあのバカバカしいほどの番組の嵐は判っていましたので今回は事前にビデオ屋さんで昔の大河ドラマを借りてきてスタンバイしていました。

いくらテレビ好きといえあのあり様は「冗談じゃあ無い」という感じ。

 

 おかげ様で例年の超繁忙(お悔みが多し)の年末年始とは違い、

ただただ「住職」という言葉に違わず、「庫裏に居るのみ」というお仕事の毎日です。

そのことはお檀家さんの御家庭でもみなみな様、まずまず普通のお正月を過ごされるということで、これも何よりの目出度きこと。

年末年始とはいわずかくありたいものでございます。

これもあれもすべて「おまかせ」であることは違いありませんが。

 

 レンタルDVDも飽きが来てBSの6チャンネルの「酒場放浪記スペシャル」をつけっ放しのBGMにしてまたも食道楽。

私は冬季に体重が増える傾向にありますが、今年はかなりイキそうで、また夏にかけての減量が課題になりそうです。

 

さて、蓮如さんの仲良し、臨済の僧一休さんの正月の句、

 

①門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし

 

はかつてブログでも紹介していますが、次のバージョンもあります。

 

②門松は冥途の旅の一里塚 馬かごもなくとまり屋もなし

 

どちらにしろそんなに「めでたいことでもないだろうよ」

と言う意味でしょう。

 

最近記したブログで小夜中山の芭蕉の一里塚について触れました。一里塚は「松の木」の大木が目印になっていることが多くその一つ一つの松が人生の道しるべであり、一つ越えれば一つ人生の目的地(終着地)に近くなるわけでもあり、

「喜んでばかりはいられないだろうよ」という意になるのです。

 

②を蛇足で注釈すれば

お正月と歓喜してもただの人生の通過点 この通過点には馬や駕籠(楽を求めて、助ける人)もなく宿場(安寧の場)でも無い、一人で歩いて行かなくてはならない無常の道の通過点なのです。

 

やっはり正月の第一声はこのあたりの句が一番私には合っています。来年もこれが記せたらこれも仕合わせ。

 

6時より修正会。あと適宜、正信偈。

画像は「由比ヶ浜」の日出。

 

本年もよろしくお願いします。