ヤバくなったら スグ出奔 大野と大石 大野九郎兵衛

12月からこんなにもバカバカしく寒くなると、いっそのこと南の島にでもフッと居なくなりたくなります。

本堂も家も風でガタガタ言い通しで昨夕の地震など最初の揺れはてっきりただの風だろうと顔を見合わせるだけでした。

 

 さて昔からそうやって人前から消えることを「出奔」とか「逐電」といいました。全てを捨てて心機一転、並々ならぬ覚悟も要ることですので、なかなかその立場にいる人の心情を汲むことは難しいでしょうね。

 

 何かやらかして、あるいは人間関係がこじれて、一人であるいは一家で消えてこれまでのゴタゴタをリセットしました。

今風に言えば「夜逃げ」なのでしょうが、「逐電」「出奔」はそんな下賤な逃散(ちょうさん)欠落(かけおち)をイメージするものと違った一種独特、言ってみれば憧れのようなカッコ良い雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。

もっとも武士の夜逃げが出奔という言葉に変わっただけなのですが。

 「逃げる」とは各先生方にはお叱りを受けそうですが、私は素晴らしい言葉だと思います。逃げたり諦めたりすることも時としていい方向に導く」ということをあまり学校では教わってきませんでしたね。

また死を選ぶくらいの場合の問題点であったなら尚更に必要な思考です。

 

 この「逐電」「出奔」という言葉は当該混乱を「一件落着」させるために、ある意味重要な問題解決の選択肢であったような気がします。

統治者や管理する立場の人からすれば当人姿を消してしまっては既に居ない者ですので咎、責を求めることはできません。

また、もしかすれば渦中の怨嗟のトバッチリまで受けるやも知れない状況に陥りかねませんし、何より提起されたややこしい問題に対処する自らの責任も消滅するという、すべてが万事解決する手立てだったと思います。

 

 姿を消した当人も、しがらみから離れ「一所」(一所懸命の場・・・生活の場)や名のりを変えるなどして新しい次の人生を歩み始めれば、「それでよし」だったわけです。

社会もそれで良かった時代でした。問題をいつまでも抱えていることほど不健全な状況はありませんから。

 

 12月の時代劇は相変わらず日本人大好きな「忠臣蔵」です。

色々と解釈や視点を変え趣向を凝らした演出で何かしらテレビ放映されています。

 

 主君の敵討ちなどという後先考えない無謀な手だてを「美談」としてそれを忠君、忠勤、これこそが日本人の「義」の見本の如く祭り上げたのは無責任な観客的傍観者である、日本人の性質です。

参加するが見ているだけというスタンスですが「人を煽って結果を楽しむ」的無責任な態度だと思います。

もっとも結果、腹を切った討ち入りの方々の精神は今にあっては案外新鮮に感ずるところもあるのは何と言っても今は義に欠ける世風ですから。

 

 昨日ブログで記しました島田の慶壽寺には今川範氏の墓のスグ奥に大野知房(大野九郎兵衛)という人の五輪塔が建っています。

大野知房は播磨、赤穂藩浅野家の家老で例の討ち入りの件には反対し、筆頭家老である大石良雄とは反りが合わず対立しました。

後世『忠臣蔵』における「不忠臣」のエースとして世間からは当然に悪役扱いされていました。

 

 大野は立場が追い込まれて出奔しましたが、大野の考え方は「敵討ちはしない」ということで、みんな浪人とはなるものの「死ぬより生きよ」との態度とも見られ、指導者としての思考としては大石よりも私は好感が持てますね。

それは世間からは「おもろない」という評価になりましょうが。

 

大野は何を言っても自分の本意とは異なる方向に事が動いてしまい状況が悪化していることを肌で感じ出奔してしまいます。

以来日本各地に彼の土着等の伝承が何故か残っており墓碑も建てられています。

その中の一つの墓標がこのお墓です。標柱も立っています。

五輪塔としては大きさも形もしっかりしたもので、ある程度のスポンサーが居たか財力のある人を想像させます。

 しかしなんでここに赤穂浪士?とあまりにも突飛で理解に苦しむところがありますね。それ以外の伝承は無いようですし・・・。