焼津 「石脇」の由来

地名ともなっている石脇城(昨日のブログ)の「石脇」の由来は城跡よりも東名高速に近い(というか東名脇)、石脇浅間神社(場所はここ)にあります。

 

 その神社の鳥居の前、殆ど道路とも思わせる場所に、今となっては大いに違和感のある巨石が2つ地面から顔をだしています。以前はもっと大きく露出していたという話もあります。

いつの時代からこの地を「石脇」と呼んでいたのかは判りませんが、徳川家康が駿府からこの辺りに鷹狩に訪れた時に旗をかけたので「旗掛石」、馬の鞍をかけたので「鞍掛石」などという名が別に伝わっています。

 

 私たちは今では日本坂トンネルを利用しての安倍川静岡方面と焼津方面の往来となっていますが古来よりこの巨石が並ぶ前の道が、街道本道として使われ、ここが「さぁこれから高草山(標高500m)超えの難所だよ」という目印だったようです。

掛川市に原川という地名がまだ残っていますが、其の地よりこの石脇に屋敷を構えた原川新三郎という人の屋敷にあった社がこの神社となったと伝わります。

その原川新三郎の屋敷が藤枝田中城攻めの本陣となったといわれる田中城湿地帯に浮かぶ難攻不落の城。

家康は長期に渡りこちらに滞留していた経緯があったそうです。

そこで大いに昵懇となった原川家の屋敷に駿府隠居後も訪れていたのです。