難波のこと  難波宮

大阪バスツアーの際、私が雨中うろうろしていた辺りが難波宮(なにわのみや)跡でした。

あの「大化の改新」の年に孝徳天皇が飛鳥板蓋宮から遷都しました(場所はここ)。

 

 殆ど大阪城の南側の広大なエリアと思われますが戦前までは何処がこの難波宮なのかはっきりとは判らなかったそうです。戦後の発掘調査で鴟尾(しび)が発見されてから大きく確証を得てその後、継続的に発掘調査が行われています。 

鴟尾は瓦葺大型建築物の大棟の両端に対で装着される鬼瓦のような飾りです。

今回、大阪市で調査した場所は現在の難波宮跡公園の道を隔てた大阪医療センターの敷地内です。このあたりで「真田丸」の方角を通行人に聞きまくりました。

その病院敷地内で難波宮の4棟の建物の跡と堀の跡が出てきたそうです。

現地説明会が12月1日午後1時30分から行われるとのことですが、各地で催される歴史的遺物の説明会に参加していくことも私の引退後の「道楽」の一つにしたいものです。今回はパスさせてください。

 

奈良の「ちょいキモ キャラ」の「せんとくん」の銘々となった「遷都」という施策、日曜の大河ドラマではちょうど福原遷都、暴走老人清盛の大顰蹙のシーンでした。

為政者の恣意的に(殆ど雰囲気?)決める遷都という行為がその時代時代の民衆をいかに苦しめてきたか。

 

 あの広大な敷地に建つ伽藍群を推測するに莫大な資金と資材とたくさんの人々が動員されてなされたことがわかります。