潰えた新幹線新駅・・・脱線

よしもと新喜劇辻本座長の「新幹線ギャグ」はスピーディーで「面ろい」です。まぁ街を歩いていれば新幹線みたいな顔、結構いますね。

顔や体型の欠点を気軽に突っ込むギャグが多いのですがこれはわれわれがどこかしら欠点を隠して生きていて、他者がまた他人の欠点をあからさまに指摘したところを一緒に「笑う」という構図ですね。

人間は他人の欠陥や失敗は殊に面白がるところがあるのです。

まずは自分の様(さま・ざま)を差し置いて。

 

 さて静岡駅を新大阪方面に出発した新幹線は大井川を渡ったのち初倉の種月院さん(今井信郎の墓)の楡と本堂を右手に見ながらトンネルに入ります。

このトンネルの頭上が牧之原台地、かの静岡空港がある場所です。

 

 本当は当初ここに「富士山静岡空港駅」というトンネル内の新幹線駅が出来るという案が実しやかに吹聴されていましたので、私などはどちらかというと空港よりも新駅に期待して「これは便利になる」と胸を膨らませていたものです。

ところがJRにあっさりと却下されていましたね。

まあおカネの問題でしょうがJRも利用者のいない空港の山をくり抜いて新駅なんど作って「新幹線を停める」などということは最初から絵空事として相手にもしていなかったように感じました。

地下だから大きな環境破壊には繋がらないとは思うのですが・・・まず私が生きている間には新幹線は停まらないでしょう。

 

 昨日お知らせした滑走路内の堂ケ谷遺跡(上記地図のA)から南側のエリア、ピンク色の囲いの部分を「切山」、その南側を「勝間田」(地図のB)と呼んでいます。切山には堂ケ谷廃寺と同様に智生寺経塚という遺跡もあります。

空港もそうですがこの辺りは現在であっても街道筋からは離れた山の中(茶畑)です。

平安鎌倉期からこの地区には古い寺に籠っていた人々がいたようです。

  

 「勝間田」は遠州守護斯波氏の配下で横地氏とともに今川義忠に滅ぼされた勝間田氏の「勝間田」です。

「勝間田」は一族派生して勝俣・勝又・勝亦・勝間等の姓として現在も繋がっています。

御殿場・箱根・小田原地区にまでその名は広がっていましたね。

 

地図上のCが種月院、Dが小山城です。

 

現在牧之原市の教育委員会の考古学的発掘調査の重点地区は旧榛原地区に傾注しているようです。

昨年度の予算もこの勝間田氏への調査費用(宮下遺跡)4500万円が計上されていました。

調査の詳細について知りたいものです。

 

その切山と勝間田が牧之原地区における岡部元信の所領であったことが判る文献が残っていました。