田舎だから許してね

この頃の秋の味覚は銀杏(イチョウーぎんなん)です。

銀杏の大木といえば「寺社」ですが、これはほとんどが防火の意味で植えたものですね。

本願寺系の寺には「親鸞聖人」伝来の銀杏が各所にあります。

御開祖ご縁のイチョウとして著名なものは麻布山善福寺ですが、

これは聖人がイチョウの杖を差したものが大きく育ったという伝承です。

これからは緑色の葉が黄色に変わる季節、東本願寺も西本願寺もともに大銀杏が明るく映える季節です。まぁお寺に限ること無く日本全国ですが。

その名の通り祖父江産「銀杏―ぎんなん」は食通にお馴染みですがその種子を多く作りますので当山では前住職が10年程前にどこかの「親鸞聖人ご縁」の銀杏の二世の種子を取り寄せて境内水屋の南側に植えました。

そのイチョウはまだひょろひょろで頼りないですが5mほどの高さになって今年初めて種子を2粒着けました。

以前から銀杏の伐採を頼まれることがありましたがこの木は強烈に大木化巨木化しますので境内のこんな場所に植えて大丈夫か不安ですね。しかしあと100年以上あとの話ですが。

 

銀杏(ぎんなん)についてちょっとしたエピソードがあります。

横浜在住の頃、休日に山下公園付近をブラつく事はよくありましたが、神奈川県庁舎の通りには銀杏の大木が並びます。

季節ともなると道端に落ちている銀杏を拾っている通行人の姿はよく目にする光景ですが、ある日相当おっちょこちょいの私は少しばかりの落ちている銀杏を拾っている方に、上にはたわわに実り今にも落下しようとしている夥しい数の銀杏を指さして「揺すって落としましょう」と言って木に登り路上を銀杏だらけにしてあげました。

下に居た方は好きなだけ拾って帰りましたが私も残りの銀杏を家族で拾っているとどこからか自転車の年配の人が来て

「誰の許可を得て拾ってるのか?」と言われるのです。

私は呆気にとられて「これ街路樹でしょ、特に県庁の敷地だから許可を得るとしたら県の方ですね?」と当然の如く反論。

すると銀杏(イチョウ)には街路樹と云えどそれぞれ「ある筋の縄張り」というものがあって拾ったものはその「所有者」に返却しなくてはならないとその人は主張していました。

要はその人に今私たちが拾った銀杏をそのまま「よこせ」というものでした。

たかだか銀杏でどうでもいいことで争うことではありませんでしたがあまりにも不合理な話でその時は空気を読まない振りをして「聞き役」に徹しました。

すると「今日だけは許してやる」ということでその人は引き揚げていきました。

都会では公共物であっても「裏の所有者」が有るようです。

まぁいわゆる「因縁」の類ですが。

そういえば上野公園ではそちらに住まう方々が処理した銀杏を袋詰めして売っていますね。それを生業にしているのでしたらとんだ邪魔だてをしてしまったようで。

 

画像は境内のイチョウと3日夕の相良新名所。

4隻のタグボートでも「ダメにお茶1本」などといいながら脱出劇なるかと見物に訪れた人々。

本日の夕方の満潮時、風速10m以上の南風で4隻で曳いてもダメでした。

こんな自然の悪戯であっても人の考えることは限られていて、まったく歯が立たないということを目の前で見せつけられました。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 04 10月 2012 08:41)

    毎朝の小堤山公園で思うこと。
    先日まで雑草が茂ってみっともない時に
    思いました。
     少し刈ってやろうかな、でも
    ヘタに刈っても叱られるかなと思いました。
    この頃では善意も気をつけないと悪意に取られます。
    先日の山芋、ヤマモモの類も同じです。
    どうせ 採らないのに・・なぜいけないのかな。

  • #2

    今井 (木曜日, 04 10月 2012 17:58)

    ありがとうございます。
    山の持ち主に言わせれば、自地へ他者に侵入されることを不快に思われるのでしょうが、タケノコ泥棒を通報する人の弁として「タケノコ」の数本を取られるのはどうでもいいが
    皮をむしって散らかして帰るのは腹が立つといっていました。
    そういえばかつてヤマイモを掘った時は必ず掘りやすい山の斜面を狙いましたが、その掘方をすれば「元通り」にすることは至難の技で山の持ち主がいたとしたら怒るでしょうね。
    権利関係の判らないものには関与しないのが得策ですね。