四十年中 他もなく自もなく  朝倉義景

「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」

 は朝倉義景の辞世といわれています。

 

家臣である従弟の謀(はかりごと)に失意自害する間際に記したものでしょうか。

どなたか後世の「脚色」っぽいところがありますが壮絶感漂う、そして整然とした四字×四句の並びはいかにもカッコ良く、多少自虐的ですが仏教的諦観(いや開き直り?)の境地が窺えます。

まさに「仏」の世界に入りつつある人の感覚です。

 

 朝倉義景について「一乗谷 朝倉一統」、「戦国の母」にて記しておりますが果たしてこの人がルイス・フロイスに「日本において最も高貴で主要な国」と言わしめた、小京都、越前一乗谷にこだわること無く、がむしゃらに「天下」を目指す器量があったとしたら、これも「たられば」ではありますが信長-秀吉-家康という三者による天下統一の流れは無かったでしょう。

 

悉くチャンスを逸した人でした。

たくさんの、名乗り=天下号令の機会を今思えば意味不明な対応によってみすみす逃してしまいました。

 

周囲のたくさんの期待を裏切って、煮え切らない態度に人を憤慨させ、また酷く落胆させるような結果を招いてしまいました。

特に武田信玄の義景の淡白な織田勢への対応にはカンカンになって怒ったといいますし将軍義昭や本願寺顕如からの招へいも義理は果たすも効果的な動きになっていませんでした。よく言う「阿吽の呼吸」、共同歩調が取れなかったのです。

武将としての器量よりやはり室町将軍、殊に義政あたりの貴族化した趣味に生きる姿に似ています。

 

しかし、自らの最期、背負ってきた「家」の滅亡という悲哀・絶望感の崖っぷちに至った時はじめて標記のような心境に治まったのでしょうか。

「四大」とは仏教で説く物質の構成要素で「地,水,火,風」のことです。

 

「本空」という言葉が加わって仏教的思考の一説であるその四つの構成要素すべてが「空」であるということ、その四大構成要素に「空」が加わって、「五大」の概念とを掛け合わせて記されているのかと思います。

 

墓標形態「五輪塔」の「五」はその「地水火風空」を表していることは以前記していますがもう一つの説に「五体満足」の「五」のように肉体の構成部位を表している場合もあります。

そういうことから「四大本空」は「無他無自―他人も無ければ自分も無い」という句に引き続き「私と云う人間(物体)そのものが空しきことであった」とでも私は解釈していますが。

 

義景は天正元年8月20日41歳で生涯を終えます。

近江小谷城にて浅井長政が果てたのは9月1日28歳でした。

浅井長政も彼に振り回された人々のうちの一人でしょう。

 

画像は安土城「仏足石」と 元亀2年(1571)建立の安土摠見寺二王門、因播院朝作の銘、阿吽像は 応仁元年(1467)のものです。

 

門も二仏ともに現重要文化財、信長の手によるものです。

ちなみに「阿吽」とは「万物の根源」。

台風17号はあっという間に東海道から去って行きました。

当山の被災はざっと見たところ無いようですが、例によって須々木と波津の裏通りは停電が続いています。

前回もそうでしたが本通りと当山のある北側のブロックはなぜかセーフです。

配電元が違うのでしょうね。

いつも同じところが「切れる」のは欠陥を指摘されてもしょうがないところです。

食料品を扱っているお店はまたしても被害が増えてしまいますね。

 

中秋の名月が雲の中に透ける図と相良海水浴場に座礁した貨物船。

台風が去って一夜明けると相良には 色々なものがちらばっていました。

午前早くからは長興寺さんで会合です。帰ったら境内の片づけです。

 

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コメント: 2
  • #1

    河内 (金曜日, 26 5月 2017 20:19)

    この句の意味がわかりました。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 27 5月 2017 00:10)

    ありがとうございます。
    またよろしくおねがいいたします。