夏のない年

今年は殊に暑い夏と云われ続けて、この頃の季節の変化を感ずるようになってからホッとされている方も多いと思います。

昨日はこの時期としては珍しい「夏日」。蝉の合唱の無いスッキリ、クリアーな好天に恵まれました。

しばし夏の復活劇にうんざりしてヘトヘトの方、「夏のない年」が無いものかとお嘆きの方もおられるでしょうが、いよいよ今度の台風が夏の空気を蹴散らして本格的な秋のスイッチを入れましょう。

 

 ひとつひとつの大きな天変地異(地震・津波・火山)が起こるスパンは一人の人間の生涯よりもずっと長い時間がかかりますのでまず大抵の人はその苦境を味わうこと無くこの世を「退場」していきますね。

できればそれらの苦しみに縁のない人生を歩めれば・・・と思うのが無力の人間の思うこと。「楽」―「平らな、変化の少ない」「無事」な人生を古くから求めて生活してきた我等御先祖様の心からの願いだったのでしょう。

しかし、大災害の発生するタイミングとその生活の場所がたまたま合致してしまうとたちまち平穏な人生から奈落の底に落とされて「つらい人生だった」と回顧することになったりします。生きていればの話ですが。

それらがすべて偶然のなせる業であることから「天災 天の災い」と呼ぶのでしょう。

戦国時代の騒乱期には欲の絡み合った合戦(国盗り<人災>)の連続で人々の立場からこの世はまさに地獄であったわけです。

「天災には人災が絡んでくる」これも歴史でした。

 

 さて「夏のない年」という語彙は歴史の世界では真面目に語られる言葉です。

これは「夏=色々な生命の発育の季節」が無かったということで、異常気象による農産物の不作の意味を現しますが、そのことによって政治、社会が一層混乱して大きな変化を起こすきっかけとなったこととして捉えています。

欧米では1812年~1815年のカリブ海からインドネシアの複数火山の噴火による噴出物によって太陽の光の恩恵を害したことから1816年~17年に5月~6月にまで降雪やら吹雪があるほどの寒い夏となって農作物が大打撃を被りました。

各地でたくさんの人たちの命が失われたといいます。

しかしそのような被害によって人間はより賢く生きようとしますので色々な打開策や発明品が起こったともいいます。

 

 当時、日本において大飢饉を示唆する記録は無いそうですが、それよりも時代を遡って我が国の「夏のない年」をあげれば「長禄・寛正の飢饉」です。

1452年頃から南太平洋バヌアツの火山が数度に渡って爆発して世界中(特に北半球)の旱魃が数年にわたって続きましたがその後からの長禄3(1459)~寛正2(1461)の大飢饉は、水害(長雨・台風)+旱魃+害虫の大量発生+疫病+畿内斯波家、畠山家主体の騒乱+関東の騒乱(享徳の乱)という複数の天変地異と人為的災害が重なった結果です。

それらの発生はより世情を不安定にし、時の将軍足利義政は花の御所を改築して隠遁、所謂「応仁の乱」という庶民大迷惑の時代に突入し長い下剋上の戦国の世に繋がっていきました。

寛正二年の最初の2ヶ月で8万人以上が亡くなっているといわれる洛中で足利義政は政治施策を放棄し趣味に逃避して生きたのですが、後世「東山文化」といわれて日本の誇る様々な象徴的美的文化の代表となる品々を輩出する時代を残しました。

 

夏が暑いのは当たり前、暑い夏こそ有り難く戴かなくてはならないのですね。

当たり前の季節、平穏無事という意味で。

 

画像は当山秋の名物「槙の実」です。

道路側にバラバラ落ちて車に轢かれて路上を汚しています。

数日前、外の掃き掃除では実だけではありませんでしたが袋が相当重くなりました。

60代以上の「おやつ」の無い外遊び主体に過ごした人たちは子供の頃これを口にしたことがあってその味覚、食感を記憶に留めている人もいらっしゃるかと思います。

 

2枚目の画像は本堂北側の鬱蒼とした槇。これらから実は落ちます。

剪定伐採を躊躇していつも遺し気味にするのはコインランドリー屋さんのプロパンタンクをケアしているためです。

最悪、爆発でもしたらと思い防火のためスカスカにしないでいるのです。

失礼ですが、数年前ボヤ騒ぎがあった場所ですので。 

 

台風17号は速度を速めて北上していますので日曜の深夜から月曜未明が最接近になりそうです。

台風対策は日曜ではなく土曜の午後に行うことが賢明でしょう。

日曜は本堂の板戸を閉めた暗い中での法事を了承いただくことになります。

日曜は午前・午後・夕方と法事の予定がありましたが午後の浜松からの御参拝はキャンセル順延となりました。素早い手配で連絡を頂き何よりです。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 29 9月 2012 09:02)

    「ヤンゾー コンゾー」と言っていました。
    懐かしいものです。
    今の子供たちは知っているのでしょうか。
    椎の実なんかも食べました。
    ヤマモモも採りました。

    もう山へ入ることもないでしょうね。
    メジロ取り、山芋ほりなどは
    ほぼ禁止のようなもの。
    世知辛い世の中になりました。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 29 9月 2012 14:57)

    ありがとうございます。

    いやぁその「ヤンゾー、コンゾー」という言葉は
    ホントに初耳ですよ。

    これは遠州特有の方言ですよね。

    私は中3になってから相良生活を始めていますので
    その呼び名は知りませんでした。
    遠州特有の方言、奥が深いですね。
    まだまだ知らないことたくさんありそうです。

    また、そういう方言がしっかりあったということから
    この槙の実がいかに子供たちの日常に近かったかもうかがうことができます。
     
    そろそろヤマイモの季節ですね。さすがにアレは子供の時は技術的に無理でしたのでチャレンジしていません。
    あの楽しみを知ったのは社会人になってからでした。

    かつて小田原で車にグッズ一式積み込んで山に入りましたが今それをやると通報されそうですね。
    森の中でゴソゴソやっていて猟銃で撃たれそうに
    なったこともあります。
    泥だらけになってもいい服装、長靴に土が入らないようにテープを巻いて頭を穴の中に突っ込んで慎重に大事に掘り出したものです。