複数の夜泣き石 小夜の中山と菊川の遺跡

「小夜(さよ)の中山」の夜泣き石について先日記しましたが、この石でさえ複数のものがこの狭いエリアに点在します。

諏訪原城跡の北側を走る県道381号、この道路は島田金谷線を掛川方面に黙って走れば知らないうちに「国道1号線」に変身していますが、ちょうどその辺りを「佐夜鹿」(掛川市)といい、「子育て飴」の看板を出す土産物店が2件並んだ場所があって、双方の店にその夜泣き石を名のる丸い石があります。

峠づたいの旧東海道にある久延寺さんからは北側に下った場所になります。その間には1号線バイパスが走っていますので久延寺さんのある旧東海道の尾根に上がるにはもうしばらく行った案内板に従ってください。

画像の「石」は西側の方のお店から階段を30mほど上がった場所です。

燈籠の寄進に「銀座松坂屋」の名が光っています。詳細は不明ですが明治13年からこちらに安置されているそうで、毎年10月に供養祭が行われているそうです。それ以前にどこにあったのかも疑問です。 

東側の駐車場にも「夜泣き石」の類でしょうかその手の石がコロコロしていて「いったいどれが本物?」という疑問が生じます。これはやはり複数あるお墓と同様ですね。

 

 

さて菊川で現在発掘調査が進んでいる場所があります。静岡県農業研修会館(場所はココ)のある丘の西側の平坦地、T字路の北側です。

この路線は画像左上に微かに確認できる高架橋、相良―金谷線に菊川駅から連結させて、静岡空港へよりスムーズに繋ぐための道路となるそうですがその路線予定地には鎌倉期以降の遺跡が点在しています。

静岡県の主導での発掘調査だそうでその調査結果が楽しみです。

 

そこで発掘調査について考えます。

このように「開発行為」に「遺跡」「墓所」は正直なところその業者や恩恵を被ろうとする人たちには「目の上のたんこぶ」でしょう。

ここの遺跡群に関しては掘削前から事前に把握していたことからその調査費用は計上されていたようですが、民間系の開発工事ではまず大抵は遺構らしきものが出たとしても「知らぬ存ぜぬ」で工事を進めているでしょう。

工事中に遺跡が出て、これが公に知れ渡れば、即工事はストップ。

当現場の調査に1年以上の期間を要するそうですが、工事再開までの予想は未知となり、工事の完成予定というものがまったく不確定となってしまうことが往々としてあります。リース機材、職人の招集等も無駄になってしまいます。よって工事現場に「何か出たら」だんまりを決め込む方が得策なのです。

 

しかし、もしかすると歴史上貴重な遺物が奇遇にも世に出現したかも知れない重大なチャンスを逸してしまったこともあったかもしれません。

開発行為、その工事の進捗と利便性、経済的効果も不必要とは言えませんがこのような地道な発掘調査による史実の検証は絶対に必要なことです。時間をかけて当地区の他の遺構との関連性もくまなく調査して欲しいものです。

学術的検証は地味でお金がかかりなおかつ、おカネを生むものではありません。

国の余裕度や文化の物差し、いわゆる「器量」という感覚があったとしたらこういった方面に多くの力をいれられるかどうかがその差として出てくるものなのでしょうね。