岡崎教区17組 安城門徒会御一行さま

愛知県安城市よりはるばる当山へ御参拝くださいました。

教区内各御寺院様、門徒会の皆様です。

安城といえば当山初代今井権七が永禄の頃、叔父の祐寿が居た本樂寺に立ち寄って頼み込み、叔父とともに遠州段平尾(現菊川)を訪れて大澤寺の前身である本樂寺を建てました。また、15代のうちそのうち7,8人は養子縁組等の婚姻関係によって結びつきを深めた寺院が集まる地域であり当山にとってご縁の深い皆さまです。

以前ツアー会社さんから参拝の打診を受けていましたが、私としても皆さま方の訪問を相当楽しみにしていた次第です。

 

 台風の影響か明け方と午前9時頃の雨で心配しましたが、到着の頃からは雨もあがって以後好天に恵まれました。

三河の一向一揆について話せとのリクエストがありましたが三河の一向一揆については脈々と流れ受け継いだ思想と歴史は皆様方の心にしっかりと伝承されてきているはずで三河人でも無い私ごときが話せることは無いといいつつも初代権七の近江門徒たる出自、一向一揆全般について簡単な復習をさせていただきました。

 

一向一揆はまず江戸時代の百姓一揆や打ちこわしの部類とは違うこと、そして寺院を中心にした村(惣村)における自治共同体から発展し守護大名から戦国大名への変遷の中衰退していきました。

そして何よりもその共同体意識の素晴らしさは、治水灌漑等の高度な技術に発揮されました。

というのも一向一揆が出現した箇所はどちらも低湿地帯です。

琵琶湖湖畔、大坂、伊勢長嶋、富山、三河矢作川等々・・・しかし低湿地帯はうまく立ち回れば稲作の観点からすると最良の穀倉地帯に変身できる場所です。

いわばリスクを管理すれば多くの収穫を得ることの可能な場所であるわけですね。

リスクとは勿論河川の氾濫です。

それら自然の気まぐれをいかに管理するか、そして予知し危害を想定し最悪の場合をも思量して色々な思案を重ねていきました。(堤防の高さ、配置、形状、家の作り等から緊急時の動員、組織化された作業)

それらの危機を管理してシステムだった運営をし大いなる対価、果実を得てそして組織する組合員に平等に分配していこうといういわば自治国家化したのでした。

 

守護の暴走、肥沃な土地への収奪、関与を防ぐことが当初、室町幕府の意向と重なったため、不入権のお墨付きを得るなどして村は自治的治外法権要素を拡大し昨日ブログの長島一向一揆の様に各地の戦いによる逃亡者、地侍、時には大名クラスまで取り入れて時の権力者に立ち向かいました。

幕府衰退の戦国期を迎えてのち天下が統一され(刀狩に検地)その自治意識は低下したものの共同体としてのそれぞれを助け合って生きる精神は脈々と続いています。

 

参拝者の中に安城の赤松、本樂寺の役員様が数人いらっしゃって本当にその

ご縁に驚かされました。

「今度はこちらに来てください」と声を掛けられ「是非にお伺いさせてください」とお別れしました。

遠い静岡の地までお越しいただきありがとうございました。

 

※当山HPが結んだご縁でのはじめてまとまった人数のお客様でした。

ちなみに「お昼ご飯はどちらで?」とお聞きしたところ御前崎の「なぶら市場」だとのこと。ツアー会社の企画です。

相良にも「道の駅」150号線に無理やりでも作りましょうよ。

大沢インターへの起点となる位置で商工会議所の辺り、いいんじゃないでしょうか?