教如上人四百回忌法要

家康の亡くなった1616年より2年前、慶長19年1614年に教如上人が亡くなりました。

よって来年が400回忌となります。

顕如上人、教如上人等石山本願寺にて戦国大名と肩を並べ信長相手に暴れた門徒衆と本願寺の戦いを「大河に」などとは密かに思ってはいるものの、これだけは色々な人たちがそれぞれの思いあって「いい顔」をしないでしょうね。

実現しそうにない私の夢でもあります。

現行仏教宗旨を遡る教団にスポットライトをあてることは他の宗旨の人からすればフェアーでは無いかも知れませんし、NHKも何を言われるかわかりませんね。

東西本願寺も仏法護持とはいいながら、率先して血を流す戦闘に参加し徹底的に抗戦をしつくし、死をも厭わぬ信心により自由を勝ち得んと門徒の背を押したことに少なからず反省点もあるでしょう。

しかし私としては奇をてらった大河で戦国武将有名どころオンパレード、絶対に面白いと思いますが・・・。

 

信長ファンというものがあるとして、

その人が真宗門徒でなかったとしたら、

やはり「本願寺憎し」のスタンスになるでしょうね。

あの信長包囲網の中、ギリギリのところまで持ちこたえ、とことん信長の天下統一を邪魔をし、挙句、滅亡を覚悟の和歌山籠城もあの明智光秀の本能寺によって首の皮一枚残ったところで復活したのですから。

考えてみれば「本能寺の変」が無ければ今の本願寺は無かったかもしれませんね。

本願寺との内通があったという噂もまったく有り得ないこととはいえません。

 

最近の明智光秀再評価の動きもあり、ひょっとするとゆくゆく本願寺は「明智光秀ありがとう」の法要をするのかも知れません。

 

本山にて稚児行列と「子どものつどい in 東本願寺」の募集を

おこなっています。