熱田神宮 常設展示でした 真柄直隆 長刀

姉川合戦(1570)図屏風の中で大太刀を振り回す、真柄十郎左衛門直隆について以前、熱田神宮にその刀が「有る」と聞きかじったこと、そして熱田神宮の宝物展示場の展示物はローテーションがあるとこれまたうろ覚えで私の頭の中では見ることは出来ないものと思っておりました。

しかしふらっと熱田神宮に寄ってみてびっくり、たまたまなのか警備員も立っていない入口正面に鎮座されていました。

 

どう考えても常人では持ち上げることもできなそうな代物です。

 

熱田神宮の宝物コレクションの数は膨大な量ですが私の狙っている1点は

「生き過ぎたりや二十五歳」と記された朱色の鞘の刀です。

勿論行ってスグにお目にかかれるとは思っていませんが受付に次回の展示を聞くと11月の特別陳列「第17回熱田の杜 東海現代刀匠刀剣展にてもしかすると・・・」と仰っておりましたが「直前に確認の連絡」をしてほしいとのこと。確定ではないそうでした。 どちらにしろ画像は撮影できないし、その資料も無いそうです。

 

熱田神宮と言えば桶狭間戦勝祈願の信長を想います。

画像の築地塀は開戦前の願文により大勝したことからその御礼として奉納した塀です。

土と石灰を油で練り固めて瓦を積み重ねたものです。

これは三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並んで日本三大土塀と言われているそうです。

 

そしてまた先般の小和田先生のブログにて紹介されていた小田原城御用米曲輪の発掘現場から出てきた土塀が熱田社の「信長塀」と似たつくりであって、「平瓦の上に土をのせ、その上に平瓦をのせ…と、わかっている部分で19段の瓦積塀となっています。」とありました。

現物をこんなに近くで見るのは初めてで重厚そして渋さを感じました。 

5枚目と6枚目の画像は近江小谷城ですが、ちょっとした安直観光コースからは踏み込んだ場所の「金吾丸」と「間柄峠」の標識です。

(見落としてしまう人が多いので) 

金吾丸は1525年に六角定頼が小谷城を攻めた時、越前朝倉金吾教景が布陣した場所を言い朝倉先鋒の間柄備中守が布陣した場所が間柄峠です。

この間柄、あの真柄と同系でしょうか、おそらく聞き伝えによる同異と思いますが・・・。