ああ わからない、よめないのは人の心  義朝

平治物語 野間の段 長田忠致 つづき

いかに勲功をのぞめばとて、相伝の主をうち、現在のむこを害しける

忠致が所存をば、にくまぬ者もなかりけり。

 

しらぬは人のこゝろ也

されば白氏文集(唐の白居易の文集)、

「天をも度つ(推し計る)べく、地をもはかりつべし。

たゞ人のみ防べからず。

海底の魚も、天上の鳥も、高けれども射つべく、深けれども釣つべし。

ひとり人の心のあひむかへる時、咫尺の間(しせきのあいだ―ごく近い間柄)もはかる事あたはず。陰陽神変みなはかりつべし。

人間のゑみは是 いかりなりといふ事を。」と書も、

今こそ思ひしられたれ。

 

ニッコリ微笑まれて「さぞお働きの事でしょう、お風呂で疲れをお流しください」などと親切な言葉に感動して風呂に入ったら最後、斬り殺された源義朝の無念は

「木太刀の1本なりともあれば」という言葉ににじみ出ていると思います。

丸腰で相手が3人がかりでは戦えないのは当たり前ですね。

後世卑怯道と呼ばれる中の最たるものです。

 

平治の乱で京から関東での充電再起を図るべく下向中の内海(うつみ)野間(場所はココ)での事件だったのですが野間の地は東海道からはかなり知多半島を南下するいわば「寄り道」です。実際は杭瀬川からの海路ですので成り行きといえば成り行きですね。

当然にこの遠回りには同行家臣の反対意見があったでしょうが義朝が最大に信頼している鎌田政清の説得もあってここでしばらくの間、匿ってもらおうということになったのでしょう。

 

結果的にその判断は致命的な誤りであったのですが、冒頭の言葉はまさにこの事を云っているわけです。

「世の中の事象、大抵の事は推測できるが、こと人の心だけはまったくわからないものだ」

 現在は一言「人間関係」という言葉になるのでしょうが、うまくいかない難しいことの代名詞のようにもなっている通り、古来から人の心は読めないものだったのです。

 

他者に「信じられない」と言わしめられる人間にならないよう努めるばかりです。

 

①画像は野間、内海と呼ばれる海岸。セントレア空港方面の図です。穏やかな遠浅の海が広がっています。伊勢湾の向こうは津や四日市。

名古屋圏の海水浴場として有名ですがこの日は8月夏休みというのに閑古鳥・・・今は遊びの種類が増えたためかどこの海水浴場もこんな風景ですね。

相良の「海の家」も今年から2つ減ったと聞きます。

 

②は源義朝が長田忠致に案内された湯殿のある法山寺に連なる道脇にある乱橋跡の石碑。当時は潮が入ってきていたそうで橋がありました。

異変を察した義朝家臣の平賀四郎義宣、渋谷金王丸、鷲栖玄光と長田家郎党らが乱闘になった橋ということからその名がついたそうです。

 

⑥は法山寺の千人塚。討死した長田家郎党と義朝の胴塚とのこと。

 

⑦は大御堂寺の義朝墳墓。義朝「1本の木太刀・・・」といったことから木切れ(500円)に願い事を記し墓の上に置くようです。

本来の墓石の様子をうかがい知れず少しばかり残念な風習としています。

 

⑧長田屋敷で酒を飲まされて斬られた長田忠致の娘婿、鎌田政家と夫の後を追った妻、清の墓。