横須賀城と浜岡原発

暑い暑いと日々の雑事、そしてオリンピックに追われてあの地震についての警鐘がトーンダウンしてきましたので久しぶりに記します。

 

太平の世、元禄十六年に起こった元禄大地震(1703年12月31日)は相模湾沿岸に大きな被害をもたらしました。

特に小田原の被害は甚大で地震直後の火災により小田原城までも焼失しています。

小田原だけで2300人の死者、関東甲信、特に沿岸域各所で液状化、火災の発生で37000人の死者が出たともいいます。

 

1700年代前半は大地震が頻発してその4年後、1707年に今で言う「東南海地震」なのでしょうか「宝永地震」と呼ばれる例のフィリピン海プレートが沈み込む南海トラフを震源とする大地震が起きています。

 

特筆すべき点は

 

 ①その地震後49日たって富士山が噴火している。

 ②南海トラフ沿いの地震には液状化と数メートルの隆起が

      必ずある。

 

   ※東北地震で津波の被害が強調されますが

       プレート破断型地震は地殻変動が恐ろしい

 

ということでしょうか。

地震と原発の暴走破壊で無茶苦茶になっているところに富士山の爆発はいやはやという感じですが、もっともこの地区で原発がどうかなっていたら富士山が爆発しようがしまいがどうってことは無い、もはや「つまらぬこと」ですね。

 

そこで②に着目します。

中部電力さんは必死になって浜岡原発を再稼働させようとしています。

浜岡原発の目の前に建設している防潮堤(津波除け?)のことです。

私にはどう見ても無駄な労力をかけているようにしか思えません。

 

空気の読めない、先見性が欠如した旧態依然の企業体質を露呈させていますが滑稽にも見えますね。

それだけ盲目的に原発を信じてしまうということは利益利潤の恩恵著しく、「一度やったらやめられないと」いう理性をも麻痺させる麻薬のような作用があることがよーく判ります。

 

あの「液晶のシャープ」などと時代の寵児たる我が世の春を謳歌するかに見えた優良企業の最近の凋落ぶりは目を覆うばかりです。

同様に陳腐化していく技術に拘りを持てば企業は衰退していくのです。

もはやそれに拘って追加投資する時代では無いことがわからないのでしょうか。

その点、あのドイツの身のかわりの速さには敬服いたします。

駄目と出たらさっさとやめて新技術を極める、それが本当の優良企業、そしてこれからの国の指導者でしょう。

 

突貫工事で「無用の長物」の建設はさぞかし膨大な経費がかかっているでしょうが、あの原発は再開できるはずもなく、人間の愚かしさの証拠として後世の笑いものになることこれは請け合いです。

太陽光や風力に廻す心の余裕があればいいのですがね。

 

おそらく実際の津波への壁の耐力があるかどうかも未知ですが地元で危惧していることはその壁が無事に立っていたとして津波の流入が左右に振られて近辺の被害が倍増することと、津波の海に戻る流れが原発前で滞留しいずれにせよ原発本体は水没してしまうのではということです。

 

まあ、これは津波に対するお話ですね。

私が言わんとすることは勿論「津波」では無く「地殻変動」についてです。

元禄大地震においては相模湾三浦半島突端が1.7m、千葉は房総半島突端が3.4m隆起したと言われます。

宝永大地震でこの辺りでは顕著な地殻変動は遠州横須賀城周辺を見れば一目瞭然ですよ。

 

上記左側地図 A横須賀城   B浜岡原発   C高天神城   D相良女神山(石灰山いしばいやま)です。

上記右側の地図 A横須賀城  B撰要寺  です。

  

横須賀城は城の北西側、今の撰要寺西側あたりまで遠州灘の入り江が入り込んでいる場所でした。

そこを古くから「姥懐 」(うばがふところ)と呼び穏やかな入り江であったことが窺えます。

高天神城も城のすぐ近くまで船が乗り入りできたといいます。また相良の石灰山は隆起サンゴ礁で、時代は前二つより遡りますが海の底だった場所です。

 

 このようにして駿河湾から遠州灘、伊豆半島の付け根はプレートの境目の部分で地震の度に隆起を繰り返してきたという歴史があるのです。(伊豆半島そのものはぶつかっているプレートの上に載っている陸地です。富士山という山がぶつけられたプレートに圧されて持ち上がった褶曲山脈の類であることは高校の地学で習いました。)

 

相良藩も安政地震以前は良好な港湾都市であったのですが地震の度に隆起して今の萩間川河口からは千石船が入港できなくなり、海鮮問屋はじめ当地区産業に大打撃を与えています。

 

上記右側地図の斜線は宝永地震以前は海だったところと推測されています。

下の画像は横須賀城本丸から見た南側で上記斜線の部分、かつて海だった場所です。

そして選要寺の西側は良好な入り江だった「姥が懐」(下の画像右)。

 

 

問題の本質を津波のみにあるかの如く「津波には対応」できるとさっさと問答無用で壁づくりに着手して完成時の安全性を標榜し、電力配電の使命感とやらを豪語しておられるようですが、津波よりも何よりも恐ろしいのは地殻変動とセットの液状化です。

 

歴史上何れの地震においても最低でも1m以上の隆起が起こっていますが少なくとも当時は原発などというものは無かったので近場の山に上がれれば一応の「安心」は得られました。

ところが今は違います。最低20~30キロ風上等有効な方向に瞬時に移動しなくてはなりません。

 

 当然にこの地に建てられたプラント等の重量物は液状化の沈下あるいは隆起により配管が外れたり建物そのものも大きく壊れることは避けられないでしょう。地盤そのものが不特定に数メートル持ち上がれば上に載るものがまともに建っていられるとは考えられません。

地質学の観点からいえば あの海岸縁にある建物がその手の地震によって無事であるなどということは絶対に言えないことです。

 

その点を無視して「安心」と言わしめるのは「その時はそれでも想定外と云えばいい」という腹、確信犯ですね。

まともじゃぁ無いですよ。 

 

巨大プレートの境目に建つ原発の再稼働を原発ゼロ目標とする民意(70%の人たちがゼロ目標賛成)が許すはずが無いのです。

わかっちやいないですねエラい人。

大損するのは勝手ですが。