あざ笑うカラス

カラスの利口ぶりにはまいります。

ただの利口でなく彼らの行動には遊びがあるのです。

人を嘲笑うかのごとく。

 

芝生を貼ればその芝をひっくり返し、貼り戻せばまたひっくり返し終いには枯らします。芝の下には虫がいるとの学習だといえばそうかも知れませんがカラスとの戦いはどれもイタチごっこです。

門前のゴミ集積所に襲来しゴミ袋から生ごみを引きずり出して無茶苦茶にして行き、小鳥たちの営巣を襲い、まさにやりたい放題。

私はカラスの巣には注意を払っており、これまで幾度か樹上に上がって巣を撤去しています。またのんびりと境内でくつろぐでカラスどもを牽制していますのでカラスの方も私を「憎し」と思っていることでしょう。

 

風で榎の枝が飛ばされて南側西側の本堂の瓦が割れることはありましたが本堂正面の瓦については「想定外」、東よりの強風が吹き、何かが舞い上がって直撃し、ダメージを及ぼすことなどあり得ないのです。

ところが先日来、本堂正面の瓦に黒い影が出現しました。

双眼鏡を持ち出して確認しようとしましたが下からではそれが何なのか不明でした。

そこへ姪がやってきて「アレは絶対に欠けている」と主張しました。半信半疑でしたがその指摘には黙っていられませんでしたので結局確認に上がったのです。

おかげ様で瓦は割れていませんでした。カラスの羽でした。

奴は自分の羽を1本抜いて瓦に深く差し込んでいました。ちょっとやそっとの風では抜けないくらい・・・

 

以下妄想癖の私の考えです。

カラスはこの寺の住人を酷く嫌っています。以下カラスの談。

「これまで巣は壊され続けましたし週三回、(ゴミだしの)朝食は邪魔されました。おつおつ食事もできません。境内でくつろげば追い出されもしました。先日は隣地の大木も根から切り倒されて環境はますます悪くなるばかり、みんなあいつのせいです。

あいつは本堂に手を掛けたばかりでとても気にしています。

だからうまいこと高所までおびき出していつか事故でも誘発させてやろう。そのために羽を差しておくのだよ。バカが取りに来る。」

といったところです。

 

画像は羽の撤去後つかみどころのない屋根をそろそろと後ずさりしながら降りてくる私とその数日後新たに差し込まれた羽です。

もう取りに行かないことにしました。いつかカラスにやられます。

 

当流本山の指針は先日お伝えした通り。

茅ヶ崎在住のO氏より以下記事情報ご紹介いただきました。

 

 

 

原発廃止し命の尊厳を 京で宗教者ら声明

 

仏教やキリスト教、新宗教など宗教・宗派を超えた宗教者が13日、原子力発電所の廃止を求める声明を京都市で発表した。東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故は「原発と人間とが共存できないことを証明した」などと訴えた。

 臨済宗妙心寺派の河野太通管長、本山修験宗の宮城泰年管長、天台寺門宗の福家英明管長をはじめ、キリスト教や天理教などの51人が呼び掛け人となった。

 声明文は「事故原因未解明のまま、原発推進者は再稼働に固執し、輸出まで企てている」と政府を非難し、「原発を廃止し、命の尊厳が重んじられる世を望む」としている。

 記者会見で、河野管長は「福島の事故で、原発が命を脅かすもととなることが分かった。(原発廃止への)賛同を呼び掛けたい」と話した。

 

京都新聞

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120713000070

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 23 7月 2012 09:00)

    カラスのことを考えすぎじゃあございませんか。
    カラスにはカラスの生き方があります。
    カラスが遊んでくれているのです。
    とにかく 体には気をつけてください。
    落ちないように。

    原発問題は単純に考えればやめるに越したことはありません。
    しかし 本当に経済発展を止めてまでやめれるのでしょうか。
    企業の衰退、給料は減退、すべての生活が困窮しても
    我慢できますか。
    原発分のエネルギーを今すぐ補完できるのでしょうか。
    もちろん原発は反対です。
    代替えのエネルギーを考えた時、100%反対と言えなくなります。せめて代替えのエネルギーを見つけるまでの間だけでもと考えてしまいます。
    学者の意見も原発が無くてもやれる、という人や、やれないという人がいます。素人はどちらが本当かわかりません。
    情報はいろいろありますが判断が難しい。
    政府の対応がお粗末であるためなおさら困ります。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 23 7月 2012 21:02)

    ありがとうございます。カラスはさておき、原発の廃止=経済の衰退とは即座に結びつかないと思います。
    このほども原発が無くても十分世の中は廻っていたように思います。
    そもそも我等仏教に足を置く者は「生死(しょうじ)」について論じるものですので命にかかわるマイナス要因は排除したいという気持ちにかられるのです。命があるからこその生活であり就労であり企業だと思います。
    もともと仏教と経済はあい合わぬものですし、「現実的」部分のみに目を囚われていると問題を見失う可能性があります。人間世界はコンビニエンスに暴走します。注意深く見て行かなくてはならないと思います。
    今後ともよろしくお願いいたします。