一休さんの彼女

一休骸骨 雰囲気だけ・・・
一休骸骨 雰囲気だけ・・・

子供の頃のかわいらしい小坊主さん、一休さんの有名なとんち話はすべて「つくり話」ですね。アニメのイメージは一掃して、その著『狂雲集』に触れてみれば彼の一端が読み取れるでしょう。
こんな坊さんアリでしょうかと思わせますが、人間一休はいかにも破天荒で自らを隠すことなくすべてを開け広げます。

私も「開けっぴろげでバカ」とも父親に怒られたものですが、何かで「己のすべてを開くことも慈愛である」という言葉を耳にした時、それこそ他の人から見て恥ずかしいことであろうと、時として感情さえも抑えることなく相手に心が開くことができるという事も本来の愛情であるのだと心得、そのバカもなかなかいいものだと開き直っています。

真宗の私からすれば、臨済の僧でありながら浄土系の法然さんや親鸞さんの通った道を歩んだ姿に親近感を覚えますが、そのことからも蓮如さんと親交のあったことが頷けます。

まったく一休さんの如くその「慈愛」には圧倒されるばかりです。

 さて「一休さんの彼女」などの標題には多少語弊がありましょうが・・・。

最近「歳の差婚」という言葉を良く聞きます。

「あの芸人が●●歳下と再婚・・・」等のネタが飛び交っています。

男という生き物はやはり本能的に若い女性に対して、心ときめかせるものであることは、私も(・・・)よく承知しておりますが一休さんもそれに違わず、自身の感情を本当に誠実なところを吐露しています。

その「歳の差」たるや芸能番組に登場する三文芸人のそれとはケタが違うような気がします。

彼女の名は森侍者(しんじしゃ)、森女(しんじょ)とも。

歳の差はなんと「五十歳以上」あったといわれます。

応仁の乱に突入して騒乱の洛中、一休さんが七十六歳頃に知り合いますから彼女二十七歳以下。一休さんが死ぬ(八十八歳)まで一緒に生活しています。

相当の美女で盲目だったといわれる森侍者との生活のお楽しみに関して一休さんは心からその歓びを詩に残しています。

いくら「恥知らず」の私であってもあの詩の数々をアップして訳してみろといわれても相当困惑いたします。生憎そこまで「届いて」いません・・・。

ご興味のある方は「一休 森侍者 詩」ででも検索してみてください。

 

一休骸骨は、今元気に活動している我らも「いつ骸骨になっちまうかわからない身だ」との皮肉たっぷりな絵入りの法語です。