夏至の頃 沖縄のこと

6月21日は「夏至」。その頃から「小暑」の7月7日に至るまでの期間をもそう呼びます。

偶然ですが当家過去帳を眺めると月忌「二十二日」の期日が多いのです。

(ちなみに暦は新旧異なりますが「三方原の戦い」は12月22日-そこから過去帳が始まります)

当月22日も当家重要日でありその前の20日あたりからは気持ちも高まって昔で言えば御堂に籠りたくなる忌日になります。

今回は台風の来襲により「まったり」と香など焚くなどして御堂で時間を過ごすことはできませんでしたが・・・。

また、それは私の沖縄指向の生活の中で身に付いた独特の感覚がそうしたい気持ちにさせるのだと思います。

半端じゃなく不快な(天候不順でも海にいなくてはならなかったもので)雨季の沖縄に居て「スカ晴れ、度P感」を期待する日々、6月23日は沖縄平年の梅雨明けの予定日です。梅雨明けから7月初旬に駆けて、天候はそれまでとはうって変わり、風も吹かない凪の快晴がしばらく続きます。このタイミングは私にとって至極の時間であり、これこそが「極楽浄土」と唸らせました。

再度この時期を沖縄で過ごすことが今のところの私の課題でもあるピンポイントな絶妙な時期なのです。(ずっと見送っていますが)

その日を待ちわびてそれまでひたすら沖縄の40日以上の雨季を耐え続けました。

よって6月も20日あたりに近づくとテンションが上がってくるのです。

しかしそのような私自身の精神的高揚期ではありますが同時にこの日23日は「沖縄戦」の「終戦の日」でもあります。

沖縄滞在中に触れた沖縄戦~日本での唯一の地上戦と艦砲射撃~の惨状と書物によって知った、丁度夏至の頃に向かって進む「ひめゆり」をはじめとする戦争に翻弄された非戦闘員の絶望感と「様々な死様」そして無意味な「捨石作戦」と詭弁に満ちた政府の戦争遂行の無謀さ、無能さ、戦争に突き進む高慢な思想とシステム(恣意的な意地の張りあいと人命軽視の軽薄な思想)を大いに確認できたような気がしました。

そんなこんなでこの時期は「反省と感謝と極楽浄土」が重なる複雑なる日々でもあります。

 

画像は「チビチリガマ」入口の図です。

私が「墓場放浪」や「歴史への関わり」みたいなことを趣味的に傾き始めたのは小学校高学年頃からです。

しかし沖縄にいたころはやることがたくさんありすぎて、ほとんど史跡との関わりからは遠ざかっていました。

20代後半に沖縄に逐電しそこの10代後半からの若い同僚たちに「じじい」と呼ばれる中、それら若い連中を引き連れて仕事の終わった夜間にこの「墓地」を案内した思い出があります。

そもそもこの墓を知ったのは今は無き東京浅草本願寺の専修学院(大学1年の時に夜学で通学しました)にて知り合った先輩が入っていた読谷村(よみたんそん)の親鸞塾に転がり込んだ時、「この墓地を紹介できないのはモグリ(沖縄問題の探究者として)」と言われたものでした。

私のいたころはあの様な看板がありませんでしたので洞窟内の出入りにプレッシャーはありませんでした。たくさんの連中を連れてきて中を見学させたものです。洞窟の奥は当時のままになっていて遺骨や遺品がそのままに残っています。

考えてみればいくら「その事実」を後世に「知らしめる」という義務はあるにせよそんな独りよがりな感覚は遺族感情を顧みれば当然に憤慨するにあたいし、さぞかし不愉快なことだったでしょう。

今はとても反省しています。

 チビチリガマとお隣にあるシムクガマについては以前「生と死は指導者の違い」風の書面を回覧で檀家様に回したことがありますが詳細は各人様お調べください。

→沖縄戦跡めぐりチビチリガマ →チビチリガマとシムクガマ

 

当時読谷村のヒーローで本土と沖縄の間に深い溝があることを提起する事件を起こした知花昌一師が真宗大谷派の僧侶になったというニュースには驚きでした。

 

地獄と楽園が同居する場所が沖縄です。本土の人の利益と政治家の思惑が複雑に絡み合う場所でもあります。

残りの2つの景色は小生の「楽しい仕事場」だった海です。

次男を連れて行った「万座毛」と東シナ海、そして湾内の図です。

 これから、それらをイメージできる日々が訪れます。楽しみは迎える前が一番わくわくしますね。

梅雨があけてしまうと、あっという間に9月になってしまうような気がします。

楽しいことはそれを迎えるまでが一番高揚するものなのです。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 23 6月 2012 09:36)

    沖縄のことを思うと複雑です。
    地理的に米軍をおかなくてはならないこと。
    それに伴うごたごたの数々。
    申し訳なく思いますが、
    中国のことを考えた時は
    無くてはならない存在となる沖縄です。
    戦争は愚かなこととは思っても
    日本を守ることを考えると自衛の軍備は
    必要と思います。
    時には「核」も持った方がいいのではと
    思うときもあります。

    もっと日本人一人一人が考えて
    いい政治家を選ぶようにならなければ
    日本の将来は心配です。
    いい政治家が立候補しないこともありますが
    国政、県政の投票率にはがっかりとします。
    投票者が自分の利益、地域の利益だけを考えて
    全体の利益を考えない。

    こんな時代は強い、利己的な政治家が
    もてはやされるようになります。
    既存の政治家にない強いリーダーを
    好みます。
    危険なことですが、今の政治家を見ると
    うなずけます。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 23 6月 2012 14:01)

    ありがとうございます。
    米軍による「抑止力」に関しては否定しません。
    私は米軍基地の殆どが沖縄に集中していることが「フェアじゃない」と言いたいのです。
    みんな米軍に護られてこの生活ができているということはまんざら嘘では無いことは判っています。
    しかし沖縄の人々だけに苦痛を背負わせているという現実があります。
    御殿場の若い市長が「普天間→御殿場」の案が少し出てきただけで血相を変えてブチ切れんばかりに反論していた姿が今も思い浮かびます。基地は必要だけど「自分のところは嫌だ」なんてよく言えると思います。
    今時レーダー等充実しジェット機やミサイルがピンポイントで飛んでくる時代ですから少しばかりの距離の違いは問題に無く日本各地で割当分散してあげるのが本当の思いやりだと思います。
    せめて御殿場市長は「持ち帰って時間をかけて検討させてください」くらいの余裕が無かったのでしょうかね。
    本当に利己的で浅ましいと思ったものです。極論ですが私は赤字垂れ流しの静岡空港に米軍を少しでも受け入れられたら沖縄の負担が減るのかなと思っています。どこの地域でも「苦痛」は負担すべきですね。
    不公平な上に成り立つ平和と安全のみを享受していこうという考えが静岡県から出たことに不愉快な気持ちでいっぱいでした。