一休さんと蓮如

重文 一休和尚像
重文 一休和尚像

著作権の類は既に切れている画像と思いますので勝手に貼り付けました。

先日一休さんの有名な正月の句を紹介しましたのでその流れです。

「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」・・・

アニメとは完全にイメージが異なりますが一時、槇原敬之という歌手に似ていると一部の人たちの中で話題になっていましたね。似ているのは逆ですが・・・

アニメの中の一休さんのエピソードは三代将軍足利義満の時代です。一休さん自身も八十八歳まで生きていますので風体も変わるでしょうしそもそも何の根拠もない漫画ですから・・・

5歳で寺に入れられた一休さんは父が後小松天皇、母が日野中納言の娘です。母が宮廷を出た正月に産まれたことから例の正月の句は自らのお誕生日の句でもあるのです。

勿論、皇室扱いとなりますので現在伝わる一休さんの墓苑も宮内庁が管理しています。

さて、一休さんはこのブログでもお馴染みの八代足利義政と妻、日野富子の幕府の在り方を批判していましたが、その破天荒の生き方はどこか当時の破戒の衆と呼ばれた~専修念仏、本願寺の思想に似ています。

一休さんは臨済宗のお坊さんですが、われら浄土真宗の開祖、親鸞聖人から数えて八代の蓮如さんと懇意にされていて、二人のエピソードは以前から宗門でも面白おかしく語られることがあります。

 当時の宗教界は新旧入り乱れそれぞれが「我らが一番」を標榜して時として武力闘争にまで発展した時代ですので二人の交流はそれこそすばらしいことであると今も語られています。年齢は一休さんの方がかなり年上(20歳以上)ですから一休さんに包容力があったのでしょうか。

蓮如上人主催の親鸞聖人二百回忌の節に本願寺に参拝しお馴染みの親鸞聖人の黒漆木像を見て詠んだ句が

「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」

言葉は悪いですが門徒の坊さんが聞けばホロリとさせられます。


浄土三部経のうち私の如き初心者坊主お得意の「阿弥陀経」の中に

「従是西方過十万億仏土」という言葉が出てきます。

これは、「ここから十万億の仏土のところに浄土がある」とでも解しますが、一休さんはこの語を見て茶化して一句を蓮如におくります。

「極楽は 十万億土と 説くならば  足腰立たぬ 婆は 行けまじ」

 

その句への蓮如の返句が

「極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば 南無のひと声」でした。

双方 皮肉たっぷりの応酬が面白いところです。聖道門を「遠回り」とは言いませんが・・・



一休さんと蓮如の交流について他にも逸話が残りますが、一休さんの仏法宗派について一言で語った句があります・・・

 

「分け登る ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ」

たくさんの山の頂上(仏法)を目指す道はありますがどの道を辿ってもその頂上から同じ月を見るのである・・・

人々の心も生活もすべてが荒んで、生きる意味を今以上に問われた

戦国乱世初期に生きた二人でした。

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コメント: 6
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 19 6月 2012 08:42)

    今回は面白かったです。(笑)
    取り上げた人物がなじみがあったからね。
    一休さんのお墓を初めて知りました。
    「皇室」とは・・・

    知らない名前が多く出てくると
    覚えきれません。
    覚える気がありません。
    ご容赦を。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 19 6月 2012 10:45)

    ありがとうございます。
    色々と知った顔をしては何やら書き綴っていますが
    それで勝手に満足しているところです。
    私は記憶に関してはまったくダメで覚えることなど
    一番嫌いなところです。
    よっていつも
    「またも不覚を取り申した」と頭を掻いています。

  • #3

    渡辺 伸孝 (土曜日, 31 5月 2014 22:06)

    食うに事欠き、学も成さず、人生これといった体系めいた物もなく医療の道に40年で食って生きてきました。苦を楽しみに変換してでも生きねば生きてこれなかった、ごまかしにもにた歩みではなかったかと・・・9か月ほど離職し、現無職63歳。主夫をしながら穏やかに己を見つめる機会に感謝してあらためて一休禅師の世に対しての怒りか?其の先のあがきが見えてきます。禅師は放浪でしょうか?旅でしょうか?はたまた・・・御住職 御教授ください。

  • #4

    今井 一光 (日曜日, 01 6月 2014 00:13)

    ありがとうございます。
    立派な経歴を拝察申し上げます。
    苦を楽しみにして一つの道を四十年とのこと、私ごときから見れば人生の大先輩です。
    「ご教授」などとんでもございませんが、お返事をさせていただきます。

    その善知識たる渡辺様の、人生を顧みて、現在のご自身について感謝して生きるという御姿は坊さんである私が見ても「ああ良かったな」と勝手に思量してしまいます。
    そして勿論文脈からその満了したものの道程に数多くの苦しみが存在していたことも・・・

    御釈迦様が人生は「一切皆苦」と思い悩んで出家した通り、多かれ少なかれ、私たちの人生を全うするうえでその対応として「ごまかし」と思われる自己矛盾制御法は大事ですね。
    そういう意では、「人生はごまかし」なのかも知れません。
    また、自分の計らい通りには行かない人生を「流浪」であり「旅」と喩えることは理に適っていると思います。

    一休さんの達観はおそらく「ありのまま」に生きるということだったかと。それこそが生かされているという身の振り方の指針となるかと思っています。

  • #5

    渡辺 伸孝 (月曜日, 02 6月 2014 11:54)

    早速の御教示をありがとうございます。
    どの様に顧みましても、枝葉に囚われた我とパッションの日々でしたが、前妻曰く「あなたと居ると疲れる!」と。最近思うに確かに「疲れただろうなー!」
    還暦前後より稍、歩行を緩めましたら見えてくるものがありまして、そんな折のメールであります。「旅」を逃避と捉え、「ありのまま」を無感情と捉えていた己の浅薄さに唖然ともし、羞恥に戦いております。暫し時間の浪費をしたいと思っております。拙文ながら秋霜の頃にまた、御教示頂きたく宜しくお願い致します。

  • #6

    今井一光 (月曜日, 02 6月 2014 21:25)

    ありがとうございます。
    無慈悲な力(やらねばならなかった仕事)から解放されて
    マイペースというものを取り戻したことを実感されたので
    あればこれからの時間を御自身のためだけに
    使う事を試みていただければと思います。
    それは決して「浪費」でなく「満足」に繋がる「これから」だと。
    次のステージが渡辺様にとって明るく楽しいものとなることを切に願います。