人面獣心なり  大谷吉継

報いを待てや」につづき人の恨みの何て恐ろしさ・・・。野間の織田信孝、

辞世です。

恨みと憎しみが、これほどまでにこめられた句はありませんね。

しかしもっともっと恨みよりも怒りをストレートに表した言葉を残した人があります。

「人面獣心なり 三年の間に祟りをなさん」と 非常にストレートに心情を一言に吐き捨てたのち自刃しました。

 先般のサッカーの得点ラッシュにも驚きましたがジャイアンツの連勝も「ウソだろ」と口が開き、贔屓にしているチームの連敗も愕然です。

私は学生時代から野球は「神宮党」ですので理解不能に陥っています。

読売といえば正力松太郎、正力松太郎と言えば日本原電、日本原電といえば福井県鶴賀原発、鶴賀は鶴賀城(金ヶ崎城) 、鶴ヶ城といえば秀吉に育てられ智将、大谷刑部少輔吉継(吉隆)。

 大谷吉継系の出自は一説に近江余呉町小谷。小谷は「おおたに、おだに」と呼んでいたので「大谷を小谷」と記したこともあるそうです。

本願寺の下間頼亮(顕如の次男、興正寺顕尊付)の室が妹であったことから「大谷」を名のったのだという話もあります。

小→大は極端に感じますが音でいえば同じだということですね。

その大谷刑部が石田三成と懇意にして関ヶ原では西軍として参加しました。関ヶ原南西の丘、藤川台に平塚為広、戸田重政、織田信吉・長次兄弟(信長の八男と十一男)らと布陣し午前中は藤堂高虎・京極高知相手に奮戦していました。

ところが関ヶ原の雌雄を決した最大要因とされる例の金吾(小早川秀秋)の二心が昼頃になって頭をもたげ、これより裏切り続出(吉継はうすうす金吾の裏切りを勘づいていたため対小早川の防御の軍を念のため依頼して置いていましたが、それらの4000強の兵が突如反転し逆に攻め入られました)の中、大いに大谷家中団結して奮戦しますが、悉く及ばず遂に吉継は自刃しました。

首を敵に渡さじと山中を駆けて埋めた話が伝わりますが、湯浅五助の墓が吉継五輪塔の隣に佇みます。

 大谷吉継の墓地は敵方藤堂家によって建てられています。

古さ、形状、大きさとてもバランスよく綺麗な五輪塔です。

私の頭の中、五輪塔の中では五本の指に入りますね。

そう簡単には見つからない森の中です。

裏切りの張本人、西軍のすべての人々に恨みをかって、勝ち戦の東軍にでさえ「やれやれのドンびき」感を抱かしてしまった小早川秀秋ですが吉継が秀秋の陣の方向、松尾山に向かって吐いた言葉(三年の間)の通り、関ヶ原から2年後、21歳で狂い死にしたといいます。

人は大谷吉継の祟りと囁きあいました。

 

さぁ大飯原発再開するとのことです。詭弁屋が「カンペキ、安全」という語を携えて・・・。

 日本人の殆どの人は「隣人」北朝鮮という国に「敵対心」を持たれていると思いますしそこまでいかなくともその国に何らかの「国家的疑問」を抱かれているということがありましょう。よってその国もやはり日本を仮想敵国としていることは間違いないですね。

こちらが憎しと思えば相手もこちらを憎しと思うのがこの世の倣いですので。

 あそこのトップの人たちが何を考えているかスグわかりますよ。

たとえばもし私があの国の軍政を握っているとしたらまず間違いなく目の前にある(日本海の対岸)「原発デパート」に照準を合わせますね。これは当然ですよ。当たり前のこと。

案外そのところは触れようとしませんね、それってかなりの想定内のお話ですよ。いつも「あっちゃっちゃ」 の方に試し打ちされてその度ごとに、蜂の巣をつついたような大騒ぎをしている我が国のお偉いさんたち。本番は東京でも大阪でもありません。誰が考えても『一番効果のある場所』、これぞ「選択と集中」ですよ。

 潜水艦で原発の冷却水入排水口を魚雷で狙ってぶっ放し、命中率の悪いテポドンもハチャメチャに撃って「大当たり」。目をつむっていてもズラリと並んだ場所ですから1つくらいぶっ壊すことなどカンタンでしょう。

地球の自転と季節風の関係であっちの国には被害はほとんど無いですしね。

北西の風が吹く日本では関西~関東まで広範囲に被害は広がります。想像するだけで恐ろしい。

ということでわざわざあんな場所に「ココに撃って」と言わんばかりの「的まと(急所)」を並べて置くことは正気の沙汰とは思えません。

フクシマを汚物にまみれた原発墓場として、なお日本中を墓場にしてくれるというのでしょうか。

「祟る」 という概念はわが宗旨にはありませんが「いのち」に関しては非常に重く傾注した思想ですので当然に私はそれに反する思想には一言記したいという衝動にかられてしまうことご容赦願います。

また「汚染物質の墓場」送りにした張本人を葬られた人々の存念によって「祟られた」ということがあってもいいかと少しだけ思っています。仏罰というものがあるのなら・・・。

相手に「仏罰」が落ちることを期待するなど、これぞ「人面獣心」でした。

坊さんとして反省すべきですね、というかすでに失格でしょうか。

 

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コメント: 2
  • #1

    菅原 成典 (木曜日, 07 2月 2013 11:49)

     はじめまして、高野山真言宗の僧侶で菅原成典と申します。

    国史の大谷刑部の話、興味深く拝見、その後の日本海の原発に関する記述にも概ね賛成です。
    ただし気になる箇所が一点。 どうしても通り過ぎる事ができず失礼は承知の上で一言言わせて頂きます。

    その気になった箇所とは『フクシマを汚物にまみれた原発墓場』と
    表現なさっている所です。
    これを今現在、福島県に住んでおられる方々が読んだら一体どういう気持ちになられるでしょう?
    想像した事がおありですか? 自分は福島に住んではいませんがもし住んでたとしてこの文章を目にした時、とても悲しくなるか、もしくは怒りが込みあげてくるように思います。
    いかがでしょうか?

    悪気など無くついつい筆が滑ったのだと思います。
    ですがもう少し現地の方々について配慮があっても良かったのかなと感じました。
    釈迦に説法とはこの事で恐縮ですが同じ仏門にある者として敢えて申し上げました。
    文中失礼な箇所があったとしたら謹んでお詫び致します。

    菅原 成典 拝

  • #2

    今井一光 (木曜日, 07 2月 2013 20:06)

    菅原成典様

    当ブログにお越しいただき、またご感想を送付いただきまして、ありがとうございます。

    さて、福島の方々、「現地の方への配慮」について私の考えを記させていただきます。

    このほどの震災に被害を被り苦難のうえに今なお苦難を重ねてこられ不自由な生活を送られている方々に心よりお見舞いいたします。
    また、今般私の言葉によって不愉快な思いをされた皆さまに
    深くお詫び申し上げます。

    ご指摘の「汚物にまみれた原発墓場」の表現については当時私にとって気になる世風がありましたので敢えてあの表現、(「墓場」という言葉は当ブログのタイトルの一部でもあります)を使ったのですが「筆が滑った」訳では決してありません。確か何がしの反論もあろうことを承知して記させていただきましたことを覚えています。

     以前別の理由もあったとは思いますが鉢呂吉雄という当時の経産相が「死の町発言」をして更迭されていた事案がありました。
    マスコミのバッシングも「福島の人々への配慮が足りない」等の指摘多大なるものがありました。
    あの時、これは真実を語れば怒られ、オブラートに包み隠すべきものをわきまえなくてはならないという風潮なのかと思った次第です。
    この件は「日本の文化」であったことを考えればそれも正論とは思いますが私には、こと原発、「命に対する日本人最大の危機」に言葉を選んでいる余裕は無いと思っています。

    とかく客観的に物事を考えがちになる私たちですが日本人は今回のフクシマの事案を自分の事(私の生活)の様に考えていかなくてはなりません。
    日本という国の在り方を問われている重大テーマたる事案と思量します。

     菅原様のお住まいがどちらかを知り得ることはできませんが、当ブログでも何度かお知らせしています通り、私の住まいはあの「浜岡原発」から直線で8㎞です。
    原発事故の恐怖は切実です。状況は何かあれば状況はまったく福島の方々と同等なのです。寺を捨て450年続いた土地もお国から「勝手にどこか行ってくれ」の如くひっ剥がされるわけですね。

    よって原発の被害、福島の状況を優しく見守って柔らかな言葉で守ってあげたい気持ちは十分にあるものの、そのスタンスで居続けることはどうしても「他人事のよう」な気がしてならないのです。

    あの「安心・安全」と「詭弁」のオンパレードが「福島」を演出したことは紛れもない事実でしょう。
    ブログは「原発再稼働」に前向きなメッセージを発した政府の姿勢についてあの語彙に繋がったのですが勿論「汚物」とは放射性物質であり墓場とは東京電力の爆発した残骸の事であって福島の人たちに対しての言葉ではありません。

    この深刻な事実を言葉を選ばずに率直に表現すれば(もっと表現のしようはあったかも知れませんが)「死の町」であり「汚物(放射線)まみれの墓場(廃炉)」は事実なのです。
    その事実を前にして私たちの指向がどうあるべきかと言えば「いったい誰が(どういう欠陥的システムが)その現状を惹起させたのか」という原発事故そのものに対する責任を問う声を強く上げ続けることなのだと思います。(経済界主導の政策、と原発村に群がる相互依存)
    それらの事実を包み隠さず表に晒し、責任の所在をハッキリさせることこそが福島の方々にとって少しでもいい方向に向かってもらえる環境だと思っています。